FIAT

Enzo Ferrari がフィアットに乗っていた理由

70年代のイタリア道交法では、21歳以下と65歳以上は最高速度180㎞/hを越えるクルマは運転禁止だったそうで、エンツォも仕方なしにフィアットに乗っていたようだ。大矢アキオ氏の記事によれば、FIAT 128 ではなくて FIAT 132 / Argenta であったよう…

The World's Worst Cars Part1

昨年の年末に、面白いクルマ本をアマゾンで購入した。 題して「世界の最悪クルマ」。英国のベテラン自動車ジャーナリスト Craig Cheetham という人が書いたもので、記者クラブ同様に自動車メーカーの代弁者でしかない日本の評論家には絶対に書けない内容。 …

1999, FIAT PUNTO Ⅱ

3月の貰い事故で塗ったバンパーの塗装手直しで、代車となった PUNTO Ⅱ 、驚くべきことに 127 以来、実に28年ぶりの自社デザイン。それは悪くないが、使い勝手に問題があった。

CLUB ZAGATO GIPPONE 2010 その5 1951, FIAT 750 GT Mille Miglia

会場には FIAT 750 derivata MM の同型車がもう1台あった。細部が微妙に違うのが興味深い。 ワイパーの開き方が違う。叩き出しのアルミボディも1台1台微妙に違うのだろう。

CLUB ZAGATO GIPPONE 2010 その4 1951, FIAT 750 derivata MM

戦後のイタリア国内レース界に於いて、ザガートはその基準となるようなクルマを送り出していく。非力なエンジンを軽さで補い、最高速度は空力的なボディで伸ばしていくという手法だ。

CLUB ZAGATO GIPPONE 2010 その3 1947, FIAT 500 B Panoramica

ご覧のように会場には小さなザガートがずらり。4半世紀前に、初めて買った CR-X 以来、小さいクルマが好みだ。自分にとってキビキビ走るというのは大切な要素で、ブカブカの大柄なクルマにはあまり触手が動かない。それに小さいモノは愛おしいもの。

欧州CO2排出規制、トヨタとフィアットが前倒し達成目前

【11月5日 AFP】欧州連合(EU)が設定した自動車の二酸化炭素(CO2)排出量規制の数値目標を、トヨタ自動車(Toyota Motor)とイタリアのフィアット(Fiat)の2社が数年前倒して達成しそうだ。 欧州交通環境連盟(European Federation for Transport and Env…

イタリア人とバカンス

これは Giovanni Agneli が Pininfarina に作らせた特注の FIAT Multipla のビーチ・カー。洒落てるよねぇ。今回はイタリアのバカンスの話だ。

Giovanni Agneli その3 古き高貴なイタリアは失われつつある

“古い魚雷艇を改造して、豪華なマホガニーを敷き詰めた Gianni のプレジャー・ボート” 現会長の Sergio Marchionne 氏が改革するまで、過去イタリアでは、フィアット・グループとまったく関係なく生活している人はほとんどいなかった。自動車、バス、トラッ…

Giovanni Agnelli その2 Gianni Style

この FIAT PANDA は Gianni 特注のものだ。彼は白い麻の生地が好きで、このパンダを特注したそうだ。これほど洒落た感覚ってのは、日本の自動車業界のトップにはないものだね。すべてが自然で、気取らず、洒落ている。

Giovanni Agnelli その1 

フィアットの会長であった“Giovanni Agnelli”氏は日本の経団連でふんぞり返っている自動車業界のブタとは違う。イタリアGDPの4.4%を占める最大の企業フィアットの会長であり、イタリア最高のお金持ちで、それでいて品があって、インテリで、いつも日焼け…

Archivio Storico Fiat その5

“1969, 2400 DINO SPIDER” 水冷V6気筒 DOHC 2418cc 180ps/6600rpm 最高速度210㎞/hフィアット(シャシー)、フェラーリ(エンジン)、ピニンファリーナ(コーチワーク)の3者の協力によって完成されたもので、フィアットの量産型スポーツカーとしては当時…

500だらけ

ことしの7月に行った“FIAT 500”の National Meeting から。 埃が酷いのは競馬場だから。

Archivio Storico Fiat その4

“1964, 1500 Cabriore” 水冷直列4気筒 DOHC 1491cc 80ps/6000rpm 最高速160㎞/hピニンファリーナの華麗なボディを纏ったカブリオレ。エンジンは“OSCA”のマセラティ兄弟がフィアット1200 OHVエンジンをDOHC化してチューンアップしたもの。

Archivio Storico Fiat その3

自社の資料館に展示されているクルマなのだから、そこにあるクルマは誇りあるクルマばかりだ。 “1947, 1100 S” 水冷直列4気筒 OHV 1089cc 51ps/5200rpm 最高速150㎞/h戦前に製造された“508C”の戦後型だが、復活早々の1948年“1000 MIGLIA”にて、総合2位3位と…

Archivio Storico Fiat その2

“Archivio Storico Fiat”にはもちろんフィアット創成期から戦前のクルマも展示されているのだが、写真には失敗してしまった。 と云うのも……。

Archivio Storico Fiat

Via Chiabrera, 24/a, 10126 - Torino tel 011/0066240 - fax 011/6633645 E-mail archivio@fiatgroup.comここはフィアット・グループの歴史資料館。 出版物から映像から、ありとあらゆるフィアットに関するものを保管している。

海ほたるにて

#29 1935 FIAT BALILLA 508S COPPA D'OLO #31 1936 FIAT 508S #33 1955 TRIUMPH TR2 #39 1947 STANGUELLINI S 1100 #67 1955 OSCA MT4 #18 1933 MG J2

フィアットのヒコーキ関係のお話

“G.91”フィアットはかつて航空機産業でも有名だった。1969年に航空部門は分離独立、国有の“Alenia Aeronautica”となっている。 http://www.alenia-aeronautica.it/eng/Pages/Home.aspx 上の写真の小型攻撃機は1960年代初期のもので、NATO軍に正式採用されて…

1922, 2-liter Grand Prix racing Fiat 804

“1922, FIAT 804”1922 French Grand Prix, Strasbourg Winner- Felice Nazzaro今日でこそ、フィアットはF1グランプリをフェラーリに任せているが、自動車の創成期から1920年代までは積極的にグランプリ・レースに参戦していた。 特に1922年に制定されたエ…

La Festa Mille Miglia 2010

あいにくの雨の中、レースはスタートしたが、ことしは日本GPと日程がカブリ、マナーが極端に悪い元ジャニーズ系アイドル歌手の追っかけ連中が皆無であったのは不幸中の幸いであったw “FERRARI 750 MONZA”は途中エンストし、カブリぎみで走り出した。http:…

フィアットも志は高かったのだよ

記念すべきFIATの1号車 “1899, Fiat 3 1/2 HP” ランチア・ランチがランチア・クラブ・ジャパンの主催で11月6日(土)〜7日(日)に行われる。場所は静岡県裾野市下和田656 テイジン富士教育研修所。 くわしくは→http://www.lanciaclub.jp/このイベントは見学…

STANGUELLINI STORY その12 レストア工房

スタンゲリーニでは1976年から4人の専属スペシャリストが、スタンゲリーニのレストアと修理を行なっている。 レストア工房は、ショールームの裏手にある広大なサービス工場の一角にある。ボディはモデナにある複数のカロッツェリア工房に委ね、自社では図面…

お払い箱だったガスタービン車

94年に生産が終わった“XJ-220”から、ジャガーが16年ぶりに発表したスーパーカー“C-X75” 基本的に電気モーターで動くのだが、バッテリーへの充電には、95ps/80000rpmを発生する2個のガス・タービン・エンジンを使うところが肝だ。これにより航続距離は900㎞…

クルマイベント掛け持ち その2 CG CLUB DAY 2010

クルマイベント掛け持ち、もう一ヶ所は大磯ロングビーチ。 我々の世代だと、“芸能人水泳大会”のポロリで有名になったホテルですねぇ。途中、トークショーがありました。 加藤社長以下、CG編集スタッフが勢ぞろいしたのだけど、皆さんほとんど30代って感…

クルマイベント掛け持ち その1 トリコローレ

きのうはイベントがバッティングしたので、どちらも行ってみましたぁ。 まずはトリコローレから。新しいフィアット500はたくさん集まりますが、新しいアルファ・ロメオはほとんど来ません。 これ、どんなイベントでも新車のアルファ・ロメオはほとんどいな…

STANGUELLINI STORY その10 モーター・スポーツからの撤退

1960年4月24日“Trofeo Vi” 写真中央、スタンゲリーニFJよりも小さく軽いミドシップのクーパー・マークⅠに注意。1960年からFJに歓迎したくないジョンブルが参戦した。 ロータス18、クーパー・マークⅠ、そしてローラ・マークⅢ(1961年)といったミドシップのマシ…

STANGUELLINI STORY その8 “Formula Junior” FJの時代

フォーミュラ・ジュニア(FJ)創設のきっかけは、1956年11月30日のイタリア自動車クラブ・ミーティングに若き精鋭ドライバーが集結したことだった。そしてカウント・ジョバンニ・ルラーニ・チェルヌスキ“Giovanni Lurani-Cernuschi”*1が技術面のレギュレーシ…

STANGUELLINI STORY その5 Bialbero ツインカム・エンジン

“1950, 750 Sport”直列4気筒 DOHC 743cc 50ps/6500rpm 1950年のF2選手権“Grand Premio di Modena”*1にドライバー、セルジオ・シギノルフィは新しいスタンゲリーニ、“750 Sport”で姿を現した。フロント・フェンダーを一体化した魅力的なボディはスタンゲリ…

STANGUELLINI STORY その3 戦争が終わって…

独裁者ムッソリーニが民衆によって葬られ、イタリアに平和な世界がもどってくると、ヴィットリオはふたたび高性能車のビジネスに力を入れ、スタンゲリーニのレーシングカー開発部門、 “Officine Stanguellini Trasformazione Auto Sport e Corsa” をマセラテ…