2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

Racing management Alan Mann (1936-2012) Part1

3月21日、偉大なるレーシング・チームのオーナーであった Alan Mannが75歳で亡くなった。60年代に FORDのレーシング・チームとして欧米で大成功を収めた男である。その彼が残した手記を数回に分けて紹介する。 1964 Spa 24h the European Touring Car C…

扇町屋愛宕神社骨董市 其ノ二 

前囘の骨董市にも出店してゐたアンティークのラジオ屋さんを覗いてみました。木製やベークライト製の箱から流れる柔らかい音色にすつかり虜に成りました。 此の戰前のラジオを見てください。木製のキャビネットに込められた職人藝。寄木細工等見るべきところ…

扇町屋愛宕神社骨董市 其の一

四輪驅動界の巨匠石川さんに誘はれて先月から通つてゐる骨董市。すつかり嵌りました。此の神社は、14世紀の中世の時代に天皇が南北朝に分かれて60年も戰爭をしてゐたと云ふ時代に南朝の後醍醐天皇に遣へた新田義貞の息子である新田義興と主從13人を祀つてゐ…

大内画伯のアトリエ訪問 其ノ二

70年代初頭、雜誌の取材でダン・ガーニーと大内氏。 コブラのステアリング。可也の大經で、此れぐらゐ大きくないと囘すことが出來なかつたさうです。 クルマのコレクションもいろいろある大内さんですが、自分は空物の方に興味が行つてしまつた。 あまりに物…

大内画伯のアトリエ訪問 其の一

日本を代表するテクニカル・イラストレーターの一人、大内誠さんのアトリエを訪問しました。 http://home.g00.itscom.net/creasso/index.htmlまさか自分が大内さんと知り合ひに成るとは思ひもしませんでした。まさにインターネット樣々です。 大内さんがテク…

横濱中華街 正しい中華粥の食べ方

Bobさんに連れられて、横濱中華街の謝甜記(シャテンキ)に行きました。 創業は1951年。Bobさんのお父さんが美食家で子供の頃から食べてゐる「御粥」ださうです。 油条(支那あげパン)は毎日手作り。 お薦めはピータンが入つた御粥。左上にあるのは魚片(刺身)…

1967 4th NIPPON GRAND PRIX 公式プログラム 自動車の広告から

SUZUKI FRONTE 800 ミケロッティ風のボディは社内デザイン。サイドウィンドウに曲面ガラスを採用したのも日本車初のことだった。 エンジンは水冷2ストローク直列3気筒785cc、これで前輪を駆動する日本初の小型FF乗用車であったのだ。しかしながら63…

1967 4th NIPPON GRAND PRIX 公式プログラム 「出場ドライバーの横顔」

出場者の中に大正生まれが3人もいたことに驚く。外国人選手も元号表記されていたのには失笑。

1967 4th NIPPON GRAND PRIX 公式プログラム

PORSCHE 906 NISSAN R-380 第4回日本グランプリの話題は宿命の対決、日産(プリンス)ワークス R-380 VS プライベート Porsche 906との戦いであったが、日産とプリンスの合併後のレースはピット内ではギクシャクしたものが生まれていたようだ。合併により日産…

1972 5th TOKYO RACING CAR SHOW

60年代、たった10年の間に日本の自動車の生産台数は増産に次ぐ増産で20倍、輸出は100倍と、アメリカ車の牙城を本国で脅かし、英国スポーツカーを奈落の底に突き落とすほどのモノとなったが、2大メーカーの日産とトヨタが走らない日本グランプリの人気…

1971 4TH TOKYO RACING CAR SHOW ガイドブック

前年の70年、日産が「排ガス対策の開発に集中したい」との理由から日本グランプリの参戦取り止めを発表。トヨタもそれに追随したため、日本自動車連盟(JAF)はこの年の日本グランプリ開催を断念。スポーツカーによる日本グランプリは終焉を迎える。1971年か…

1970 3rd TOKYO RACING CAR SHOW ガイドブック

ショーのイベント、ピットクルー・コンテストから。 3回目となると、無名プライベートが仕立てたマシンが一般に相当な人気を持つようになった。RQ(Racing Quarterly)やEVA*1といった振興メーカーが日産VSトヨタのような火花を散らす人気となっていた。…

1969 2nd TOKYO RACING CAR SHOW

記念すべき前年の第1回が80台の展示と盛況に終わったことにより、第2回目は青海の国際貿易センター1階の大きな会場となった。出展車は120台と前回を大きく上回るものとなった。 今回の目玉の一つが、ピッザリーニ・マンタだったのだが、ガイドブック…

1968 1st TOKYO RACING CAR SHOW

1963年に開催された第1回日本グランプリをもって、日本のモーター・スポーツの歴史は幕を開き、その人気はうなぎ登り。そしてついに1968年、ロンドンのレーシング・カー・ショーに触発されて東京レーシング・カー・ショーが開催された。 あの東京xx都知事は「オ…

亀有 RSCC 続 NASCARテスト走行

1957〜1966 NASCAR戰は參加車輛を決めかねてゐたのだけど、外野から「早く決めろ」と云ふ雜音多く、#121 我が英雄であるところの長身亞米利加野郎 ダン・ガーニーに決定した。 '66 Dodge Charger #6 David Pearsonそんなことをサーキット・オーナー氏と話して…

CAR MAGAZINE 1966年7月号

MASERATI SEBRINGベースボールマガジン社から発行されていた60年代の伝説のクルマ雑誌「カーマガジン」。あのレーシング・メイトが編集を請け負ってからはマニアックな内容となったらしい。編集後記が無いので、編集者のメンバーの実態はわからないが、式場…

the Marbon Chemical CRV-4

かなりマニアックな話で恐縮だが当無礼ログ記事 Man from U.N.C.L.E. CARの続報。 http://d.hatena.ne.jp/gianni-agnelli/20110623/1308761051 ベースボール・マガジン社発行の、知る人ぞ知る元祖「カーマガジン」1966年7月号に記事がありまして、 Man from U…

Coupe Des Alpes 1958

the Alpine Rally – the Mountain Rally. Itinerary: Marseilles – Cannes: 3,291 km – 39,000 m of altitude difference – 4 countries crossed: France, Italy, Switzerland and Austria.

1974 Range Rover royal ceremonial vehicle State I

1971年、英国王室の初代 Land Rover Stateを交代させようという動きが起きた。Roverのマネージング・ディレクターであった A B Smithは新しい‘Royal Car’として Range Roverを考えた。その後の2年間、たくさんのメモやスケッチやディティールの詳細画が Land…

武藏野市吉祥寺散策

東京では自分の住んでゐる場所を住所では言はない慣習がるらしい。たぶん、此の近所に住んでゐる人は決して武藏野市とは言はないだらう。あくまで「吉祥寺」と云ふ電車の驛名を強調する筈である(苦笑)。 扨て、其の武藏野市であるが、此のやうに婦女子に好ま…

震災から1年 東電だけが高笑い

東京電力 TEL: 03-6373-1111 The Tokyo Electric Power Company, Incorporated. nuclear power plant, atomic energy plant

今年初めての鵠沼訪問

今年に成つて初めての鵠沼訪問。店内は良い意味で相變はらず混沌としてをりました。 數々の貴重なお寶が散亂してゐる。此の雰圍氣は良いなあ。 自分は次囘の龜有RSCCに向けて新車を贖入。

神奈川縣某所にて

大人の遠足の續き。 具體的には書けないのが心苦しいのですが、神奈川縣某所にある模型工房を訪問。 一般には知られてをりませんが、日本の自動車メーカーの仕事を請け負つてをられる會社であります。あなたも知らないうちにココの仕事を見てゐるのかもしれ…

大人の遠足

久々の大人の遠足。メンバーはゴールドバグ氏とミゾロギ畫伯。 出發前にゴールドバグ氏の事務所で集合。 お寶をいろいろ見せていただきました。 ミゾロギ畫伯のお寶。巴里蚤の市で格安で手に入れた逸品。 Scalextric C16 Ferrari P4 Scalextric 090152 Matra…

1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 11 FINISH

レース半ばを過ぎた時点で(午後4時)、Fangioは依然リードを続けていた。しかしレースを失う可能性が Maseratiチームに忍び寄っていた。Fangioと Carroll Shelbyの燃料が残り少なくなっていたのだ。Shelbyは #21 Maserati 250 Sをピットインさせて給油を始め…

YMR通信 3/4 涙で霞んだ初優勝の巻

ゴールドバグさんからレンタル料3億円で借りたデイトナ・コブラ。これで優勝しちゃいました。苦節半年で勝ち取った栄光。手加減してくれた諸先輩の皆さんありがとうございました。 電圧を 7.8vに落としたおかげで、ムードある走行風景に。これなら苦労して作…

1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 10

Ferrari 500 Testa Rossa C Ed Lunken/Charles R.Hassan/Karl Brocken 午後3時までに、公式発表では15台がリタイアし、その内の1台は Corvette SSであった。フロリダに燦々と降り注ぐ太陽の光は Corvette SSにオーバーヒートを巻き起こし、ドライバーに…

1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 9

#56 Stanguellini Bialbero Harry Behm/Carl Haas/Sandy McArthur #58 Cooper-Climax T39 Tom Hollock/Max Goldman レース開始後、2時間目に突入すると、マシンもドライバーも熱に悩まされることとなる。Maserati 150 Sの Jo Bonnier / Giorgio Scarlatti組…

亀有 RSCC NASCARテスト走行

3月に行われるRSCC 第2戦は 57〜66年までのNASCAR。 自分が急遽手配したのがコレ。 #121 DAN GURNEY '65 FORD GALAXIE 500 Revellにしては、Aピラーがチト寝すぎているのはご愛嬌。ボディカラーも明るい銅色に見えるけど日光の所為か。モー…

1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 8 START !

午前10時のスタート30秒前に、主任スターターの Joe Laneがカウントを始めた。カウント・ゼロで旗が振り下ろされ、ドライバーたちはマシンに向かって走りだした。 Peter Collinsの #11 Ferrariは Mossとそう離れてはいない後方に位置していたが、Mossの #20 M…