1972 5th TOKYO RACING CAR SHOW

60年代、たった10年の間に日本の自動車の生産台数は増産に次ぐ増産で20倍、輸出は100倍と、アメリカ車の牙城を本国で脅かし、英国スポーツカーを奈落の底に突き落とすほどのモノとなったが、2大メーカーの日産とトヨタが走らない日本グランプリの人気に陰りが出るのは当たり前だった。

72年で5回目の開催となった「東京レーシング・カー・ショー」も最後となる。

ショーの話題はレーシングカー・コンテストに集中していた。審査には当時のホンダ技研取締役・中村良夫氏と、日産自動車設計課長・桜井真一郎氏という日本モーター・スポーツ界の伝説が立ち会っていた。



NAGASAWA RACING LEON 72F
コンテストの優勝車(特選)である。足回りのリンク機構がユニークで出来が良いことが技術者である御2人の推薦となり特選につながった。ディスク・ブレーキも自製である。



Racing Quarterly Augusta MKⅢ FJ
会場での下馬評ではコチラが特選と思われていたらしい。シャシー設計はトミーカイラで有名な解良喜久雄氏。由良拓也氏がデザインしたボディが素晴らしいまとまりを見せる。彼はこの時21歳であった!!
詳しいことは藤原さんのブログに記載されています↓。
http://motorpress.jugem.jp/?cid=14



MANA 08
プライベート・コンストラクターが制作した日本初のF2。



NAKAMURA SPECIAL
あの国会議員のロータス47は、最終的にこの形に。悲惨だ。



Carrozzeria WATANABE Pegasus R-1
これは現存しているらしい。


Special thanks to Mr Ueno.