2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

STANGUELLINI STORY その11 スタンゲリーニ最後のマシーン 幻のクルマ

“1963, Colibri” 単気筒 DOHC 248cc 29ps/8400rpm “Colibri”というのはハチドリという意味。 スタンゲリーニの名のついた最後のクルマとなった。

クルマイベント掛け持ち その3 赤くないイタ車が新鮮だぁ

“Alfa Romeo Junior Z” 今回は赤くないイタ車をメインに稚拙な我が写真を選んでみました。イタリア行くと気づくのだけど、赤いイタ車ってのは日本の方が多く走っているのだと実感します。現地1週間いて、赤いアルファは1台も見ることができなかったなぁ。 …

クルマイベント掛け持ち その2 CG CLUB DAY 2010

クルマイベント掛け持ち、もう一ヶ所は大磯ロングビーチ。 我々の世代だと、“芸能人水泳大会”のポロリで有名になったホテルですねぇ。途中、トークショーがありました。 加藤社長以下、CG編集スタッフが勢ぞろいしたのだけど、皆さんほとんど30代って感…

クルマイベント掛け持ち その1 トリコローレ

きのうはイベントがバッティングしたので、どちらも行ってみましたぁ。 まずはトリコローレから。新しいフィアット500はたくさん集まりますが、新しいアルファ・ロメオはほとんど来ません。 これ、どんなイベントでも新車のアルファ・ロメオはほとんどいな…

STANGUELLINI STORY その10 モーター・スポーツからの撤退

1960年4月24日“Trofeo Vi” 写真中央、スタンゲリーニFJよりも小さく軽いミドシップのクーパー・マークⅠに注意。1960年からFJに歓迎したくないジョンブルが参戦した。 ロータス18、クーパー・マークⅠ、そしてローラ・マークⅢ(1961年)といったミドシップのマシ…

STANGUELLINI STORY その9 スタンゲリーニ FJ 栄光の日々

1958年、イタリアで最初のフォーミュラ・ジュニア戦が行なわれたときには、“Taraschi”“Volpini”“Raineri”“Foglietti”そして“Osca”までもが参加し、のちに“Bandini”“Dagrada”“De Sanctis”“Wainer”そして“De Tomaso”といったレーシング・チームが加わった。 http…

STANGUELLINI STORY その8 “Formula Junior” FJの時代

フォーミュラ・ジュニア(FJ)創設のきっかけは、1956年11月30日のイタリア自動車クラブ・ミーティングに若き精鋭ドライバーが集結したことだった。そしてカウント・ジョバンニ・ルラーニ・チェルヌスキ“Giovanni Lurani-Cernuschi”*1が技術面のレギュレーシ…

Citroën Survolt vs Agni Z2 - Electric showdown

シトロエンが開発した電動スポーツカー“Survolt”と、電動スーパーバイクAgni社の“ Z2”。運転するのはそれぞれ“Vanina Ickx”(ジャッキー・イクスの娘)と“Jenny Tinmouth”。 “Survolt”は2個のモーターで300psを発生。0−100㎞/hは5秒、最高速260㎞/h。…

STANGUELLINI STORY その7 “Formula Bambini”

1951年、ヴィットリオから息子フランチェスコ・スタンゲリーニⅡ世に送られた、 “Formula Bambini”と称された、当時のマセラティ4CLTを模したようなクルマ。一見、ただのペダルカーのように見えるが、さに非ず。

NASCAR Taxi in downtown Chicago

元Toro Rosso F1チーム(2006-2007)のドライバー、Scott Speedがシカゴでタクシーを始めたのだが… Red Bull Toyota Camry in the NASCAR Sprint Cup Series for the Red Bull Racing Team. NASCARなんでアメ車かと思ったらトヨタでしたよ。NASCARっていまじ…

究極のクルマ道楽 “Bristol ” !?

誰が、どう見たって、世界一地味な超高級車ですなぁ。 70年代の英国田舎デザイン臭がプンプンなエクステリアは、ここまでくれば骨董品的な価値はあるのかも。 エンジンは、古くは戦前のBMW直列6気筒のコピーから始まって、クライスラー・カナダ製の化石…

STANGUELLINI STORY その6 “750 Sport” ルマン24時間レースへの挑戦

イタリア国内に多数あったカロッツェリアたちは、スタンゲリーニ自製のボディーよりも斬新で魅力的なスタイルを新しいツインカム・エンジンに施した。 “1956, 750 Sport Bialbero”直列4気筒 DOHC 743cc 75ps/8500rpm

STANGUELLINI STORY その5 Bialbero ツインカム・エンジン

“1950, 750 Sport”直列4気筒 DOHC 743cc 50ps/6500rpm 1950年のF2選手権“Grand Premio di Modena”*1にドライバー、セルジオ・シギノルフィは新しいスタンゲリーニ、“750 Sport”で姿を現した。フロント・フェンダーを一体化した魅力的なボディはスタンゲリ…

STANGUELLINI STORY その4 レーシングカーのみに非ず…

“1947, Bertone Stanguellini” 直列4気筒 OHV 1089cc 60ps/6000rpm 最高速150㎞/h(アルミ・ボディ)レーシングカーだけでなく、スタンゲリーニはベルトーネにデザインを委ね、優雅な4シーター・グラン・トゥリスモを1947〜1954年までに150台制作した。デ…

STANGUELLINI STORY その3 戦争が終わって…

独裁者ムッソリーニが民衆によって葬られ、イタリアに平和な世界がもどってくると、ヴィットリオはふたたび高性能車のビジネスに力を入れ、スタンゲリーニのレーシングカー開発部門、 “Officine Stanguellini Trasformazione Auto Sport e Corsa” をマセラテ…

STANGUELLINI STORY その2 Pre WAR の時代

フランチェスコ・スタンゲリーニⅡ世の父にあたるヴィットリオ“Vittorio”(助手席右の人物)は1929年、19歳のときレース用フィアットの供給からこの道に入り、3年後、父フランチェスコが他界するとき若きヴィットリオは成長するファミリー・ビジネスの経営を引…

STANGUELLINI STORY その1 “SQUADRA STANGUELLINI”結成まで

スタンゲリーニ家の商売の始まりは、今から131年前の1879年にさかのぼる。チェルソ・スタンゲリーニ“Celso Stanguellini”は今日でも応用されているオーケストラのティンパニーの音を機械的に変える発明で事業を成した。そののち彼の興味は楽器から機械へ、そ…

STANGUELLINI STORY 序章

いまやフェラーリで有名なモデナ。 その東エミリア通りにあるフィアット・グループのディーラー、それがスタンゲリーニ“STAGUELLNI”だ。 もう20年以上も前にクルマ雑誌で知った、小さな、しかし偉大なるレーシングカー・メーカーであったスタンゲリーニ。 今…

Fiat 500 North America: all the official photos

北米市場向けの“FIAT 500”公式写真。 内装や細部が違っているようだ。 搭載されるエンジンは、1.4のマルチエア105ps。このエンジンはミシガン州で製造される。 16インチのアロイ・ホイールと赤く塗られたブレーキ・キャリパーが標準のようだ。

GALLERIA FERRARI その7 350 Can-Am

“1967 350 Can-Am”V12 DOHC 4176cc 480ps/8500rpm 最高速315㎞/hCan-Amという排気量無制限2座のプロトタイプによるキチガイ沙汰のようなレース*1向けに、北米市場で世界一フェラーリを売っていたルイジ・キネッティの出場要請があり、フェラーリがシブシブ…

特殊な道路での人身事故ですがぁ

おとといのイタリアGPより、HRTのピットでの画像。タイア交換が終了して発進したのだが、ピットクルーが1人まだ作業中で引っかけた模様。重症ではなかったのが不幸中の幸い。

日本でもウケそうだが……

フィアットのヒット商品、“Mini MPV”の“Idea”(日本市場未発売)がブラジル市場向けのみマイナーチェンジとなった。 なかなかイマ風のモチーフがちりばめられ、ブラジル市場にはマッチしたのだろう。 ただ、ブラジル製だけあって、内装樹脂のバリや質感の悪さ…

GALLERIA FERRARI その6 375 Plus

“1954 375 Plus”V12 SOHC 4954cc 344ps/6000rpm 最高速280㎞/hエンジンはアウレリオ・ランプレディが設計した“375 F1”に搭載されたもの。美しいボディはピニン・ファリーナ。大容量の燃料タンクとド・ディオン・アクスルを収めるためにトランクに設けられた…

New FIAT 600 !?

北米市場向けの5ドアなんだそうで、車名は“FIAT 600”ということになりそうだ。 日本人同様にアチラじゃ3ドアハッチはウケないということか。

GALLERIA FERRARI その5 Dino 246

“1959 246 F1” V6 DOHC 2417cc 280ps/8500rpm 最高速280㎞/h前回の記事でも述べたが、フィアットの経済的支援でフェラーリがランチアのF1チームを受け入れた時、“D50”を設計したヴィットリオ・ヤーノも移籍してきた。 ヤーノは戦前にエンツォの勧めでフ…

GALLERIA FERRARI その4 ランチアとフェラーリ “D 50”

“1952 500 F2”直列4気筒 DOHC 1984cc 185ps/7500rpm 最高速260㎞/h1952年のF1グランプリは、アルファ・ロメオやBRMの撤退によって参加台数が危惧され、臨時措置として排気量2リッターのF2フォーミュラーで行なわれることとなった。ランプレディはそ…

GALLERIA FERRARI その3 フェラーリと小沢一郎

エンツォ・フェラーリという人物は晩年、いつもサングラスをかけていた。歳をとって目が弱くなったのかもしれないが、契約したGPドライバーに“勝つ”ためのプレッシャーを与えるために都合が良かった、ということなのだろう。目線がわからないので何を考え…

GALLERIA FERRARI その2 “375 F1”

“1950 375 F1”60°V12気筒 SOHC 4493cc 350ps/7000rpm 最高速320㎞/h1951年7月14日、イギリスはシルバーストーン・サーキットにて、このフェラーリはF1世界選手権での初勝利をもたらし、それまですべてのF1レースを制していたアルファ・ロメオ“Tipo159”ア…

GALLERIA FERRARI その1 あまりにもブサイクな“125S”

“1947 125S” V12気筒 SOHC 1497cc 120ps/6900rpm 最高速155㎞/h NHK−BSのドーモくんのような顔にみえるが、実質的に第1号フェラーリとなったクルマだ。しかし、本当はこの前に“AUTO AVIO COSTRUZIONI”というクルマがあった。1940年に作られたフェラーリの名…

GALLERIA FERRARI 序章

長かった“Museo Alfa Romeo”の次は、スポーツカーの聖地であるところのモデナ。 まずは“GALLERIA FERRARI”を…。写真はフェラーリ本社の有名な正門ゲートです。ちょうどお昼時で、工員のオネーサンたち(チト肥えております)が見えますねぇ。作業着の赤いツナ…