名ドライバーたち

DRIVERS OF 1961

グッドウッドで購入した 10€の古本から。 若造からオジサンまで、いろんな人がドライバーとして活躍していた。 今から50年ほど前の話だが、この年、自分はこの世に生を受けた。 その頃の日本は、自家用車(死語だね)など夢の時代であり、大学進学率は25%にし…

ファン・マニュエル・ファンジオ 生誕100年 Part3

惨事のトレスアロヨスのレースを後に意気消沈してバルカルセに帰ったファンジオを待っていたのは友人の励ましであった。彼はいつのまにか故郷バルカルセの英雄となっていた。「あいつをマトモなマシンに乗せてみろ、絶対にやるぜ!」バルカルセの友人達は寄…

ファン・マニュエル・ファンジオ 生誕100年 Part2

ファンジオは1911年6月24日、アルゼンチンは首都ブエノスアイレスから350㎞ほどれた、バルカルセという小さな農業の町で生まれた。その日が聖ファンの日だったのでファンという名前がつけられたという。父親は幼い頃イタリアから移民したペンキ職人、ファン…

ファン・マニュエル・ファンジオ 生誕100年

6月24日はファンジオの生誕100年の記念すべき日だった。 自分にとってファンジオは尊敬する1番のレーシングドライバーである。自伝に於いて、彼はレーシングドライバーの日々を振り返って以下のように述懐している。 引退した今こそ、私はすべてのレース…

1957 Sebring 12-Hour  Piero Taruffi

タルッフィが操る“the lightweight Corvette Super Sport” 無冠の帝王としてはスターリング・モスが有名であるが、その元祖がピエロ・タルッフィであることに異論のある方はいないであろう。1923年から、実に37年の長きにわたってレーシングカーのステ…

GALLERIA FERRARI その6 375 Plus

“1954 375 Plus”V12 SOHC 4954cc 344ps/6000rpm 最高速280㎞/hエンジンはアウレリオ・ランプレディが設計した“375 F1”に搭載されたもの。美しいボディはピニン・ファリーナ。大容量の燃料タンクとド・ディオン・アクスルを収めるためにトランクに設けられた…

GALLERIA FERRARI その5 Dino 246

“1959 246 F1” V6 DOHC 2417cc 280ps/8500rpm 最高速280㎞/h前回の記事でも述べたが、フィアットの経済的支援でフェラーリがランチアのF1チームを受け入れた時、“D50”を設計したヴィットリオ・ヤーノも移籍してきた。 ヤーノは戦前にエンツォの勧めでフ…

GALLERIA FERRARI その4 ランチアとフェラーリ “D 50”

“1952 500 F2”直列4気筒 DOHC 1984cc 185ps/7500rpm 最高速260㎞/h1952年のF1グランプリは、アルファ・ロメオやBRMの撤退によって参加台数が危惧され、臨時措置として排気量2リッターのF2フォーミュラーで行なわれることとなった。ランプレディはそ…

GALLERIA FERRARI その2 “375 F1”

“1950 375 F1”60°V12気筒 SOHC 4493cc 350ps/7000rpm 最高速320㎞/h1951年7月14日、イギリスはシルバーストーン・サーキットにて、このフェラーリはF1世界選手権での初勝利をもたらし、それまですべてのF1レースを制していたアルファ・ロメオ“Tipo159”ア…

中村良夫さんが語った、セナとプロスト

映画『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』 なんと、今頃になってセナの映画である。 アイルトン・セナは故郷ブラジルのみならず、極東の地泡沫経済(バブル)で浮かれた我が日本でも絶大な人気があった。女性にも大人気で、「セナさま〜♪」などというCMもTV…