GALLERIA FERRARI その6 375 Plus


“1954 375 Plus”

V12 SOHC 4954cc 344ps/6000rpm 最高速280㎞/h

エンジンはアウレリオ・ランプレディが設計した“375 F1”に搭載されたもの。美しいボディはピニン・ファリーナ。大容量の燃料タンクとド・ディオン・アクスルを収めるためにトランクに設けられたコブが特徴となっている。
ゴンザレスが見事ルマンで優勝、マリオリも最後のカレラ・パナメリカーナで優勝するなど、1954年度にフェラーリが獲得したスポーツカー・ワールドチャンピオンシップに大いに貢献した。

ウンベルト・マリオリは伝説のレース、カレラ・パナメリカーナで優勝した時のことを“Ferrari 1947-1997 The Official Book”に書き記している。彼は、3,070㎞のコース(ほとんどは荒れた道路)を平均速度171㎞/hで走破した。


 ルイジ・キネッティは、その375プラスを他の誰か、おそらくはヴィロレージに与えたがっていた。しかしフェラーリは私が乗るべきだとの決定を下した。コースを充分に下見することは不可能だった。20から30ほどの本当に危険な個所を記憶し、またマシーンについてもできる限り注意を払ってドライブしなければならなかった。決して乱暴に加速せずに、またブレーキングは錨を投げるようなものだったので、どんなミスも高くついてしまうのだ。このレースでは、私は右足の靴底に金属の板を仕込んでいた。そのおかげで、ブレーキペダルのタッチがより好ましく感じられるようになった。一番の問題はタイアだった。粗いアスファルトの路面ですぐに摩耗してしまい、レースの序盤に頑張って速く走るとタイア交換のために最低でも10回はピットストップをしなければならなかった。60㎞や80㎞走っただけでキャンバスが見えてしまうのでは、努力も無駄というものだ。最高速で走れるのは、最終セクションの長いストレートだけだった。その区間では、まるで自分が空に飛び立って行きそうな感じがした。
 私は大出力のマシーンが得意なことを自覚している。もし私を含めて10人のドライバーがいて100馬力のエンジンを与えられたなら、私はおそらく8位以下であろう。だが、250馬力なら5位か6位、そして500馬力なら私がトップに立つだろう。また、未経験のサーキットで同時にスタートしたら、きっと私が優勝するだろう。私は道路の状況を直感的に判断でき、それがカレラ・パナメリカーナで私が優勝した秘密だ。

優勝した375プラスは、レース前にキネッティによって北米で売却されたものを借りたものだった。マリオリがゴールに入ってクルマを降り、何か飲み物を取りに行っている間に、そのアメリカ人オーナーがクルマに乗って走り去っていってしまった。残されたマリオリは唖然としただろう。記念写真を撮る前にクルマがいなくなってしまったのだから。