2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

Road & Track 1955 July

このイタリアンなボディーは、アメリカはロングアイランドの Bill Frick Motorsが制作したスペシャル。エンジンは CadillacのV8で、ボディはカロッツェリア Vignaleによるもの。

60年代 新聞の広告から

資料提供 AD氏。

1957 Toyopet Masterline

1年という短命に終わった事実上のタクシー専用車トヨペット・マスターの生産ラインを活かして造られた。お台場のNYMに展示された個体は、なんとヤフオクで部品として出品されていたものを落札したもの。オーナー氏が貴重なナンバーを廃棄するのは惜しいと…

1962 TOYOTA PUBLICA Sport

A concept model of a light weight sports car based on Toyota's volume seller, Publica (stemmed from "Public Car"). The major feature was the canopy style sliding roof, through which driver/passenger accessed into the cabin. The engine was …

From the American automobile magazine ads of the 50s

世襲企業 大東自動車の失敗 Part 8

ロータリーエンジンの欠陥である、チャターマークはバンケル研究所自らが「一緒に解決しましょう」というほどの難問だった。致命的な未完成エンジンだったのだから、特許料を返してもらう選択もありだった。技術者たちからは「広島へ連絡して指示を仰いだら…

GUIDE to The MOTOR INDUSTRY of JAPAN 1961 edition Part 2

初代スカイライン。ボディのプレスが貧弱で、新車時から波打っていたという、まるで80年代のフランス車のような品質であったらしい。エンジンは4気筒 OHV1.5リッターでシンクロの4段ギアボックスであった。リアサスペンションはドディオンアクスル(ただ…

久々に亀有の夜

久々の亀有。約1ヶ月半ぶりであった。今度のレースは60年代のタルガフローリオ。自分は下手なんで言い訳の効くオースチン・ヒーレーで出るつもりだ。シャシーはU田さんのものをコンバージョンした^^ 新人のSさん(とは言っても自分よりも先輩だが)が、日本…

GUIDE to The MOTOR INDUSTRY of JAPAN 1961 edition Part 1

1959年にデビューしたブルーバード。初めて前輪は独立懸架となった。ギアボックスはコラムの3段、下り坂では簡単にフェードするブレーキが弱点であった。 1960年にデビューしたセドリック。中身はほぼ AUSTINである。ボディは日産初のモノコックであった。…

世襲企業 大東自動車の失敗 Part 7  欠陥エンジン

バンケル研究所を傘下におくNSUの創業は 1873年。元は編み物機械の製造会社であった。1892年にはモーターサイクルの製造を開始。1905年には自動車製造に進出。その後、1932年に自動車部門は FIATに買収された。高性能なモーターサイクルと、そのエンジン…

CONIGLIO (Powerd by HONDA)

一番左端のスーツの男性が、デザインを手がけた濱素紀氏。http://www.htcc.jp/coniglio.htmlレーシングクオータリーは、フォーミュラーも販売していた。資料提供 Bobさん。

The age of occupied Japan Part 2

ジョンソン基地の將校たちはハイドパーク内に家が用意されたが、兵士たちは民間の家を借りてゐた。然し、近隣住民とのトラブルなど問題が起こり狹山市も惱んでゐた。其処で住宅供給公社のやうなものを設立、ハイドパーク下にへばりつくように廣がる土地に米…

The age of occupied Japan

狹山市博物館で開催されてゐる特別展示。「ジョンソン基地とハイドパーク展」。 かつて、狹山市(舊入間川町)と入間市(舊豐岡町)にまたがつて、陸軍航空士官學校があつた。其處には敗戰後に亞米利加軍に接收されてジョンソン基地と成り、博物館のある狹山…

世襲企業 大東自動車の失敗 Part 6

この記事はフィクションであり、実在の人物、団体などとは一切関係ありません。 1960(昭和35)年に創立40周年を迎えてからの大東自動車は、折からのマイカーブーム爆発前夜といった、自動車産業大躍進の情勢を辰雄社長が的確に感じ取り、総合自動車メーカーへ…

軽4輪トラックのススメ

4輪驅動のご意見番によるSUZUKIのCARRYもとい、 MARIAH CARRYである。色は現NATO獨逸國防軍色を調合してもらひ塗つてゐる。荷臺は高架作業臺にも成るし、ダンプのやうにリフトする。 電源コンセントは、荷臺を架裝したメーカーに…

世襲企業 大東自動車の失敗 Part 5

この記事はフィクションであり、実在の人物、団体などとは一切関係ありません。 1960年9月30日、西ドイツはフランクフルト行のJALで羽田を飛び立った辰雄ら6人の一行は、シュツットガルトに近い、バンケル研究所に着くと、10月3日から技術提携交渉に入…

世襲企業 大東自動車の失敗 Part 4 

この記事はフィクションであり、実在の人物、団体などとは一切関係ありません。 ある日の昼食、イエスマン幹部を社長室に呼んで、弁当をつつきながら辰雄は息子直治の入社問題を切り出した。 「直治には、もちろんいろいろな批判があるだろうが、いずれ大東…

世襲企業 大東自動車の失敗 Part 3 

この記事はフィクションであり、実在の人物、団体などとは一切関係ありません。 息子の直治を将来の社長として大東自動車に入社させるためには、その体制固めが必要だった。辰雄は 1947(昭和22)年に起こった、直治を取締役で入れるか入れないかの騒動の際、…

世襲企業 大東自動車の失敗 Part 2

この記事はフィクションであり、実在の人物、団体などとは一切関係ありません。 戦後の大東自動車の経営方針をめぐって、「3輪トラックの製造をメインにするべき」という主張をした2代目の辰雄は会社を追い出されたわけだが、結果的に3輪トラックは売れに…

世襲企業 大東自動車の失敗 Part 1

この記事はフィクションであり、実在の人物、団体などとは一切関係ありません。 大東自動車の前身は、1920(大正9)年に三沢英之助(1875−1952)が創業した大東コルク工業である。ガラス瓶の栓にするコルクである。 14歳で大阪に出て、鍛冶屋での修行で機械の製…

Orange Tree & Bowさん

Nissan Violet VAN

4cyl SOHC 1400cc 85ps/6000rpm.バイオレットは、510よりも大きくなったブルーバードUとサニーの間を穴埋めするために企画されたクルマだが、当時としては大胆なファストバックのセダンが受けいられることはなかった。中身は、ほぼ510であり、リアは…

元旦の風景

晝頃に、愛宕神社に到着。參道には長い列が。 途中には日本では珍しい、シオニズム運動の流れを汲むカルト宗教が。 http://www.makuya.or.jp/ 境内にはランドローバー製の部品を利用したストーブが置かれ、多くの人が暖をとつてゐた。 ご近所には「日本を、…