2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧
ホビーショーでの副目的は、FBの友人とリアルで会うことでした。 Sヤマさんとは、初対面でしたが、話は盛り上がりました。中学生の頃、共に刑事コロンボの真似をしていたのがわかって可笑しかった。 所属の「三色会」。渋いチョイスですね。
最近は旧日本陸軍の車両が各種モデル化されており、市民権を得てきているようです。 これは盆栽に通じる境地ですね。サビの表現が素晴らしい。 朽ち果てた状態の表現が素晴らしい。 リアルなのも良いのですが、こういう絵画的な表現も新鮮です。たぶんケネデ…
10歳の頃、タミヤMMシリーズでナチス・ドイツ軍の格好の良さを知りました。日本兵の情けない装備と比べて、圧倒的に素晴らしいものでした。子供の目には、タイガー1型が人気でした。その威圧感は模型からも伝わってきます。リモコンのタイプも作って走ら…
1971年の第四回東京レーシングカーショーに於いて、タミヤが主宰して開催されたモデルカーコンテスト。その時の入賞作。 こちらが、ひろポンさんによる、同コンテストの佳作。今回のホビーショーにて、お2人と当時の作品が再会しました。 感動秘話はコチラ↓…
畔蒜さんの作品です。 やっぱりラリー車は、これぐらい汚れていないとね。驚愕のディティールと小物にも注目。
初めて行きましたホビーショー。 メーカーの展示はつまらなく、圧倒的に模型クラブの展示が素晴らしかった。 FBの知人にもリアルで会えてヨカッタです♪ 溝呂木さんはシェルビー追悼作品です。
SCCA主催の BERGSTORM AFB RACES 写真上から3番目の 5.5 litre Chrysler specialは酷い出来ですなぁ(;´Д`)。 第4レース、Carrol Shelbyが Jaguar XK-Cで3位となっていることに注意。 PEBBLE BEACH ROAD RACES PEBBLE BEACHの公道レースは1950〜1956年ま…
1929 DuPont LeMans Speedster デュポン社は、現在、世界第3位の化学会社。社名でもわかるように、フランス革命を逃れてアメリカに渡り、黒色火薬の製造で財を成した。南北戦争では双方に火薬を売り大儲け、後に第1次大戦、第2次大戦と戦争でボロ儲けした…
素晴らしいコンディションの雑誌が、昨日、北米より届きました。 折り目は勿論、染み一つ無い保存状態です。 本文は僅か48ページという薄さ。流石の自動車大国アメリカでも、自動車月刊誌を発行するのにはネタが少なかったのでしょうね。 それにしても表紙…
レースには勝利したのかもしれないが、エンジンがシヴォレーというのが情けないマシン。腑に落ちない点である。 滝レーシングのローラと。
言わずと知れた、Michelottiの作品。1960年のトリノ・ショーに、日本車のスポーツ・カーとして初めて展示されたクルマ、そのものである。 1960年の東京モーター・ショーに間に合わせるまで、依頼から、完成まで僅か7ヶ月(その間、バカンスも挟んでいたので6ヶ…
昨日の記事で、謎のアメリカ車として紹介した Apollo GT。 お台場で遭遇しました! 驚いた。 Ferrari 275 GT + JAGUAR E-Type = Apollo ??総生産台数は88台なんだそうです。ビミョーなクルマですね。
Aichi Machine Cony 360 Giardiniera ABC順に並べられている、この本で、最初に出てくる日本車です。 最高速度が75km/hと世界最低の地位を誇っておりました。ちなみに287km/hが最高で、Ferrari 250 LMとなっております。 エンジンはフロア下のミドシ…
イタリアの権威ある自動車雑誌。今年で創刊56周年です。 その創刊号。 表紙は Alfa Romeo Giulietta. 巻頭特集は、発売されたばかりの FIAT 600. 中流のイタリア人が初めて買えるクルマでした。 カロッツェリアによる特注ボディ。 上は FIAT 600. 下は Fru…
1930 Alfa Romeo 6C 1750 GS 前方に1台のクルマが見えた。道の脇に停まっている。Alfa Romeo 8C 2300 MMだ。 「 Borzacchiniのクルマじゃないか。故障を起こしてレースを諦めたな。そうすると、残りは Enzoのクルマだけだ」 Nuvolariは、故障車の脇をすり抜…
1930 Alfa Romeo 6C 1750 GS 踏切で宙を舞った後、Nuvolariたちのクルマはアクセルのジョイントが壊れてしまった。 「なんとかならないのか?」 Nuvolariはレースを諦めたくなかった。 「やってみよう」 そう言いながら、Compagnoniは、レーシングつなぎの革…
Enzo Ferrari, Alfa Romeo 8C 2300 MM 「 Nuvolariがいくら名ドライバーでも、今日のレースには勝てないだろう」 サーキットに押しかけた観客の下馬評は一致していた。 1931年8月9日、北イタリアで開催された 公道長距離レース III Circuito delle Tre Pro…
ファイスブックの知人からシェアされてきた記事で知つた、佛蘭西車の集まり。もう10年も續いてゐるさうです。 http://twingo-toku.seesaa.net/article/263554809.html 會場の東京獨逸村は、「東京ディズニーランド」と同樣に、何故か東京には存在しない。…
昨日は、環八お茶會と云ふシトロエンの集まりに行つてきました。クルマ仲間が多數來てゐましたね。O畫伯にYモリさん、Sバさん、KENさん、くらつちよさん。何故か夜に集まると云ふのがシトロエンらしいところでせうか? おかげで、まともな冩眞は撮れま…
Bugatti 35B 1927年、Nuvolariは、同じイタリア出身の若きドライバー、Achill Varziと組んで、Bugatti 35Bを2台買い、レーシング・チームを設立した。 Varziも、モーターサイクル・レーサーであり、無鉄砲な Nuvolariとは正反対に、冷静なレース運びで知られ…
Ansaldo*1 4CS Nuvolariは1921年の春から、本格的に4輪のレースに顔を出すようになった。この頃乗ったクルマは、Bianchiや Ansaldoである。 数年間、あまりぱっとしない成績の初心者時代を過ごしてから、1924年に Genovaで開催されたレースで初優勝を遂げた…
1914年、第1次大戦が勃発した。Nuvolariは、徴兵されて一兵卒として前線に赴いた。しかし、敵と撃ち合うことはほとんど無かった。もっぱら、士官たちの軍用車の運転手となっていたからだ。 1917年、無事復員すると、幼馴染の娘 Carolina Perinaと結婚した。…
Nuvolariの叔父は、仕事で Milanoまでクルマを走らせることがよくあった。そんな時は、必ず Nuvolariを同乗させた。 「クルマの運転というものは、まず安全第1だ。速く走っても、途中で事故を起こして、目的地に着けなければ、なんにもならないからな」 Giu…
Tazio Nuvolariは 1892年11月18日、北イタリアの Mantovaから20km離れた Castel d’Arioに生まれた。父親は小作人を多数使う大農場主だった。 Nuvolariは生まれた時、普通の赤ん坊よりも小さかった。5、6歳になっても、痩せこけた見窄らしい体つきだった。 …
今回はSジさんと御友人のSネさんの御2人が初参加。 御2人ともクゲヌマの常連です。
ジャコバン通りに思い思いのマシンが到着した。 トランスポーターから1台づつ降りてくるマシンは乾いた排気音を轟かせている。予想通り、FORD GT40が大半を見せる中、最年長チームのNムラさんは FERRARI P4と 312Pを投入、報道陣と駆けつけたスポーツカー・…
またもや神保町で仕入れました。 Alfa Romeo 2600 Coupe Speciale 2 Posti Chevrolet Corvette Coupe Special 2 Posti “Rondine” Fiat 1600 S Coupe 2 Posti Fiat 2300 Coupe Speciale 2 Posti Fiat 2300 Cabriolet Speciale 2 Posti Lancia Flaminia 2.8 Co…
荒らしのやうなスロットカーのブームも過ぎ去つた67年。 明らかにスロットカーが下火と成つてゐるのが紙面でもわかる。あれほどメーカーの廣告が滿載だつたのだが、スロットカーの廣告はタミヤだけと成つてしまつたのだ。 [:] PLYMOUTH FURYの縮尺にご注目…
16歳から大學生の頃まで讀みふけつた雜誌である。 「Magazine for City Boys」と云ふサブタイトルもチト恥づかしいが、いまのやうにインターネットなんぞ夢の時代、「POPEYE」から得た情報量は凄まじいものがあつた。 『氣分は○○』、『スグレモノ』、『○○大…
昨日の續きです。 Tatra Scania http://www.scania.com/ 100年以上の歴史あるスウェーデンのメーカー。日野と提携してゐるさうな。 名鐵の電車。流線型がイイですね。 Renault Vel Satis FIAT 850 & FIAT 124 and Batmobile. FIAT 1500 & BMW 3.0csi 「スパ…