雑誌「POPEYE」から、1982年の日本輸入車事情


16歳から大學生の頃まで讀みふけつた雜誌である。
「Magazine for City Boys」と云ふサブタイトルもチト恥づかしいが、いまのやうにインターネットなんぞ夢の時代、「POPEYE」から得た情報量は凄まじいものがあつた。
『氣分は○○』、『スグレモノ』、『○○大好き少年!』など、此の雜誌から生まれた言葉も數多い。ダウンジャケット、スケボー、サーフィン、VWビートル、亞米利加西海岸若者文化にどつぷりとハマり、パンクを取り上げたのも早かつたと記憶してゐる。
コラムの執筆陣も、片岡義男近田春夫大貫憲章田中康夫、渡邊和博、泉麻人と、いまから思へば素晴らしい人許りだつた。

そんな「POPEYE」をネタに當時の若者クルマ文化を覗いてみよう。



後に「六本木のカローラ」と揶揄されたBMW。まだ憧れのクルマでしたね。



ただのパンダぢやない。オリジナルの45(詰り45馬力)ですよ。ジウジャーロもかう云ふのデザインさせると上手いですね。彼の傑作のひとつです。JAXさんで158萬圓。自分が數年後に買つたホンダCR‐Xと變はらない價格。手頃だつたんだなあ。




「POPEYE」のファッション嗜好は、トラッドやIVYでした。結構影響受けましたが、其の後急速に方向轉換し、泡沫經濟時にはDCブランドなどと云ふ怪しげな方向へ。結局あの業界が適當な輩の集合だつたと理解してゐます。



Bowさん(當時36歳)のトライアンフ



車のアキハバラですと。懐かしいお店が。



此れは FIAT 127 Sportに注目。日本では Autobianchiが人氣でしたが、127のゆるさ加減が好いなあ。ライトなんか最初からズレて取り附けられてるしw



當時話題だつたデ・ロリアン。まさか此の後に社長が麻藥で逮捕→倒産の憂き目にあふとはお釋迦樣でも氣がつくめえ。