日本クルマ事情

アリババの洞窟にて

関東某所にあるHさんのガレージ。ご友人と3年かけて自作したというガレージには20台以上のクルマとモーターサイクルが隠されていた。Hさんは1966年頃の20代半ばに、吉祥寺に住んでいた五十嵐平達氏の自宅を訪ね、自動車の博物館を作りたいという夢を…

1966年発行 HEIBONパンチDELUX 別冊『CAR専科』

T氏所蔵の貴重な資料。 体裁は世界の自動車をA to Zで紹介する別冊だが、実際は『いすゞ自動車』のタイアップ広告だ。この個体は福澤幸雄氏がレースで使用したものらしい。 Special Thanks to Mr.Tokita.

2015年を振り返って 後半

7月 今年一番の映画はコレでした。特に4D上映では風が吹く、座席がムチウチ寸前の動きを見せる、水のシーンでは飛沫が飛ぶ。最高でしたね。 Three〜多摩美プロダクトから世界へ羽ばたいた3人展〜から。 1966年に多摩美術大学立体科を卒業した 児玉英雄、…

2015年を振り返って 前半

1月 ケーシー高峰で始まった2015年。 1957 Franchoni Devin Alfa Special 恒例のBOWさんの集まりから。これには驚きました。ジュリエッタのエンジンを搭載したアメリカのカスタム。50年代のアメリカのレースは多種雑多で興味深いですね。 今年は眠…

1936(昭和11)年の自動車生活

1935 DUTSUN Type-14 Roadster 戦争直前である1936年の自動車保有台数は 126,248台(日本統計協会『日本長期統計総覧』1999)。道路総延長は 906,003キロで舗装率は僅か 1,24%。現在の 1,207,867キロ 舗装率80%*1とは大違いであり、自動車はほとんど…

野沢三喜三さんの自動車人生  その2  1916(大正5)年の自動車大旅行

ニューヨークにある、アメリカで最も古い吊り橋の一つであり、同時に鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもあるブルックリン橋。ハリウッド映画にもしばしば登場する有名な橋だ。この橋を設計したドイツ系アメリカ人 John Augustus Roeblingの息子Ferdinan…

マロニエ・オートストーリー『春』ミーティング 2015

野沢三喜三さんの自動車人生

由緒ある日本の自動車クラブ SCCJの会員であった野沢三喜三さんは、明治、大正、昭和と日本の自動車創成期からその販売に携わった人である。その人生は正に日本の自動車の歴史であり、また日本の自動車エンスーの歴史でもある。最近手に入れた資料から、彼の…

エンパイヤ自動車商會 リンカーン 1920年代のカタログから。

柳田諒三氏は 1913(大正2)年5月、東京市日本橋区呉服町18番地にインパイヤ自動車ガレージを設立し、アメリカ製エンパイヤ自動車を5台輸入した。他に同クロー自動車などを販売し、レンタカー業も始めている。「インパイヤ」は正確には「エンパイヤ」と…

岡本太郎現代美術展 岡本太郎賞受賞作品 金時/Kintoki

岡本太郎現代美術賞展に置いて、見事に岡本太郎賞を受賞した作品「金時」である。審査員全員一致で受賞となったようだ。 富や地位の象徴であるトヨタ・センチュリーを焼き芋移動販売車にしてしまう発想はアナーキーであり、岡本太郎の思考である権威あるもの…

1月3日 恒例のBOWさんのイベントから

AUSTIN 7 当日は、一部路面が凍結する寒さ。お疲れ様でした。 この5シリーズも見かけなくなりました。 コスモ石油が瞬間風速的にアルファ・ロメオの代理店になったなんて時代もありましたね。 謎のクルマ Devin Alfa。50年代から60年代にかけてアメリカ…

川上完メモリアル in 湯沢  ヒコーキ少年 川上完さんの愛車たち

今年の5月7日に67歳という若さで突然この世を去った、川上完さんへの追悼の気持ちを込めて、クルマ好きのミーティングが新潟県の湯沢にて開催された。クルマと飛行機をこよなく愛し、ミニカーのコレクターとしても有名だった彼を偲びつつ、彼が愛したたくさ…

溝呂木 陽 水彩展  クルマとPARISから

千葉県市川市旧木内別邸にて開催された溝呂木さんの水彩展。絵はもちろんのこと、展示されたクルマ模型の数に圧倒された。 旧木内別邸は1914年に当時の貴族院議員であった木内重四郎によって建てられたもの。今は洋館部分のみが移築されて残されているが、元…

“第3回AAF作品展(オートモビル・アート連盟)から

九五式小型乗用車 初期型 通称「くろがね 四起」

石川さんの主催するイベント「ジープの機能美展 2014」に展示された個体。 九五式小型乗用車は米軍が誇る4輪駆動車「ジープ」よりも5年早い1936年から量産されている。世界初の量産4輪駆動車。 ただジープの総生産台数64万台にくらべて、たった50…

Marronnier Run in NIKKO 2014

Maserati Ghibri Spider 1969 HONDA Sports S800 Coupe(AS800C) 1967 AUSTIN Healey Splite Mk-1 1959 Lancia APPIA GTE 1960 BMW 2002 Volvo PV544 1964 Jaguar E-Type Sports 1 FHC 1962 Morgan 4/4 1974 Facel Vega Facellia F2B 1961

COPPA DI KOUMI 2014

1990年から開催されているイベント、コッパディ小海。 本日、初めて見学に行きました。 RENE BONNET Missile 1963 CISITALIA 204 1948 LOTUS Elite Sr.2 1962 PORSCHE 911 1966 FIAT ABARTH 850 Record Monza 1960 MATRA BONNET Djet5 PANHARD DYNA X LA…

1月3日 恒例のBOWさんのイベントから

新車の輝きを保つフィアット・パンダ。95年モデルだそうです。 ジャーマングレー対決? ゲタの英車もイイもんですね。 ストラトスは、もう20年以上維持されているそうです。 このロータス7は1962年型。 BOWさんのトライアンフ。車歴45年だそうです。

ツインリンクもてぎ 年末恒例の走行会から

エンスーの妻は二度、伴侶にエンスーを選ぶ

小林彰太郎さんのお別れの会に行ってきた。 頂いた栞には、カーグラフィック社長の加藤さんによる「御礼」の言葉が書き記されていましたが注目すべき言葉が。 「あまりにも理想主義的であるが故、時に頑固すぎると感じる場面があったことも否定しません」 過…

クラシックカー・フェスティバル in 桐生

Mercedes-Benz 300SLS Cadillac DeVille Coupe Maserati Khamsin Ford Prefect Mitsubishi Silver Pigeon TOYOTA Crown HONDA S600 Coupe FIAT 500R

自動車アート7人展 2013

佐原輝夫さん 岡本三紀夫さん 児玉英雄さん 大内誠さん 畔蒜幸雄さん 稲垣利治さん 青戸務さん

溝呂木陽 水彩展 sports car graphic

溝呂木さんの水彩画の個展、最終日にギリギリ間に合いました(>_ 部分を切り取る構図は、溝呂木さんの絵としては珍しいですね。 いつもながら味わいある雰囲気です。 自分はどうしても赤いのや青い車に目がいってしまいます。 溝呂木さんの個展に欠かせない模…

オートモービル・アート連盟 第2回作品展から

http://yamawaki-gallery.com/?p=3172

ジープの機能美展 2013  駐車場でのスナップから

http://homepage2.nifty.com/CCV/JEEP2013.html

Garage Rudi

スバルの聖地、群馬県の太田市の隣町にあるガレージ・ルディ。 http://www.rudi.jp/ 黄金連休に行って来ました。 店名は、あの偉大なるレーシングドライバー、カラツィオラの愛称からとっているそうだ。まさに桃源郷のような車種構成。夢のような時間でした。

日産とプリンス合併の労組問題。。。Part14 総崩れとなった全金プリンス労組

http://www.jmiu-nissan.com/history.html 日産とプリンスの合併が発表されると、日産労組はデマゴギーに打って出た。 「日産側労組は、プリンスが日産に吸収合併されたのだから、そのうちプリンスの製品はなくなるといった悪質なデマを流し、まず血祭りとし…

日産とプリンス合併の労組問題。。。Part13 

塩路の主導する日産労組のプリンス労組に対する攻撃は、熾烈を極めた。プリンスの本拠であった立川、吉祥寺、武蔵境、国立の旅館などに、いわゆる「日産学校」が開設され、各個撃滅の体制がとられた。ことに特筆されるのは、両親説得工作である。係長たちが…

日産とプリンス合併の労組問題。。。Part12 プリンス労組への謀略

塩路のプリンス労組攻略は、「えげつない」手法がとられた。プリンス労組の永井委員長に対する露骨な誘惑である。 塩路は、 「日産労組とプリンス労組が円滑に統一された場合、2〜3ヶ月間アメリカにでも、希望するならソ連にでも出かけたらどうか」 と永井…

日産とプリンス合併の労組問題。。。Part11 

1965年7月7日、塩路一郎がジュネーブでのILO(国際労働機関)総会から帰国した頃から、「自動車労連が同盟を脱退し、総評傘下の全国金属に加盟するのも一つの方法だと思う」と対決姿勢をあらわにしていたプリンス労組はしだいに腰砕けとなってしまうのだ…