日産とプリンス合併の労組問題。。。Part12 プリンス労組への謀略

 塩路のプリンス労組攻略は、「えげつない」手法がとられた。プリンス労組の永井委員長に対する露骨な誘惑である。
 塩路は、
「日産労組とプリンス労組が円滑に統一された場合、2〜3ヶ月間アメリカにでも、希望するならソ連にでも出かけたらどうか」
と永井に持ちかけたということである。
 塩路に言わせれば、けっして誘惑や買収といったことではなく、日産・プリンス労組が統一し再出発するときに、プリンス労組の委員長に見聞を広めていただきたいという親心から出たものだというのだが、言われた方の永井は驚いた。活動資金に乏しいプリンス労組では、まったく考えられないことだったからだ。
 また、当時、永井は田無市(現、西東京市)議会の議長を兼ねていた。
それを知った塩路は、
「統一がうまくいったら上級議員を約束しよう」
とも言ったのである。
市議会議員の上は、都議会議員であり、さらに進めば国会議員である。永井にそれだけの力量と人望があるか否かは別問題として、「天皇」と言われるほどの権力を持った塩路がその気にさえなれば、できないことではない。それを永井も知っていたから、いささか心が動いてしまったとも言われている。
 この件に関する真偽はともかく、結局2人の対立は続き、永井がアメリカへ行くことも、上級議員になることも、消え去った。この事件に関して、塩路は一言も説明をしていないし、触れてもいない。しかし、塩路であるならば、これぐらいの謀略なんぞ軽いものであっただろう。その点、永井をはじめとする旧プリンス労組の残存幹部には、それだけの信念も、勇気も、経済的背景もなかったようだ。
 塩路が旧プリンス労組の幹部に、どんな手段を用いたのかはわからない。ただ、結果として、旧プリンス労組幹部の大半が、塩路委員長の軍門に下ったのは事実である。プリンス労組を裏切ったある幹部は、塩路に対し労組委員長というよりも、人間としての魅力を感じたという。論争をしても、理路整然としているし、大会や会議には、時間厳守で、すべてが規則正しいという。従来の組合幹部にはみられない「近代性」こそが、塩路の魅力だと言うことらしい。

 しかし、塩路にはもっと深い魂胆があった。それというのは、塩路が永井を買収しようとし、これを永井がはねつけたというのに、旧プリンス側の組合員には、あたかも永井が進んで誘惑に乗ったように伝えられたことである。この噂はまたたく間にプリンス中に広がった。これが、動揺していた旧プリンス労組に、より大きなショックを与えたのであった。まさに、目的のためには、いかなる悪行も行使しすることを辞さず。
 
 塩路の手段を選ばない謀略は、着々と進んでいったのだった。

この項つづく。