2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

扇町屋愛宕神社骨董市

イシカワさんに誘はれて伺つた骨董市。結構樂しめました。 http://homepage2.nifty.com/CCV/ATAGO.htm 何故か自衞隊關聯の制帽が。赤い星はソ連軍? 下のBMW F2もシュコー製。 正に泡沫經濟の落し子 平玉火藥が懐かしい。火花で指が熱かつたりして。安全…

1966 NISSAN Datsun Bluebird Berlina Fancy Deluxe

ダットサン・ブルーバード。基本デザインはルーフラインからして、誰が見てもピニンファリーナに間違ひないのですが、日産は未だに公式に認めてをりません。 ところで「ファンシー・デラックス」と云ふネーミングには郷愁感がありますな。だい度いファンシーな…

1961 PRINCE SKYLINE SPORT

日本初の高級パーソナル・クーペ。 日本初のタコ・メーター、リクライニング・シート。 そして華麗なデザインはミケロッティ。此れも日本初。 日本車最高のデザインと思ふ。 現在の貨幣價値で1000萬クラスの價格が故に、總生産臺數がたつた60臺。貧しい日…

1966 TOYOTA 2000GT Speed Trial

Catalogo Mondiale dell' Automobile 1965 珍車パレード 其の壱

昨日の續き。此の頃のクルマ、特に大メーカーでも英國車は、とんでもないデザインが多いのだけど、知らなかつた國のクルマやメーカーも多く掲載されてゐるので少しづつ紹介しよう。 APAL Okrasa 1300 TVS ベルギーのメーカー。 AUSTIN Gipsy 4X4 Range いま…

Catalogo Mondiale dell' Automobile 1965

ストレスのたまる國會傍聽から、神保町に流れて偶然見つけた此の本。奇蹟的にシミもなく破れも折もない美本が3,000圓でお釣りがでると云ふ破格値で無造作に竝べられてをりました。迷はず買ひましたが、かう云ふ本がもう賣れるものではない、と云ふ悲しい自動…

1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 5  Alfonso de Portago

マスコミ報道を考慮したレース運営は、Sebringを徐々に人気のあるレースへと育てていった。Hendricks Fieldと称された、爆撃機 B-17の基地を1周 8.3kmのサーキットに仕立て、57年以前は観客3万人を収容できる記録を誇った。 57年当時の Sebringは人口 …

1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 4 Ferrariに起きた不幸 そして Peter Collins

Ferrari 315 S de Portago / Musso Fangioが Ferrariから去った後、モデナの工場ではピリピリとした空気が張り詰めていた。Maseratiに移籍した Fangioに勝つこと、それがコメンダトーレからの指示だった。Fangioの後釜となった若干26歳の若きドライバー Cast…

自動車アート  佐原輝夫 X 稲垣利治 X 畔蒜幸雄 3人展

土曜日は神樂坂の光鱗亭ギャラリーで好評開催中の展覽會へ。 http://www.kagurazaka-kourintei.com/?p=1049 當日は青戸さんの講演會もあつたので、會場は自動車關係者で滿員の盛況ぶり。 佐原輝夫さんは日本一賣れてゐる自動車雜誌「ベストカー」の連載でも…

嗚呼 Sir David Brown

1966年、いまから46年も前のことだ。 海外旅行が自由化(日本でもつい此の間まで、北朝鮮同樣に自由に海外渡航は出來なかつたのだ)されて、6月にはあの The Beatlesが武道館公演で大騒ぎと成り、トヨタから大衆車カローラが發賣された年。 極東の16…

2012 RSCC第1戦 Mille Miglia

RSCC本年度第1回目のレースのお題は‘Mille Miglia’。 この時代の車は車高も高くトレッドも狭いので、スロットカーを走らせるには難易度の高いカテゴリーである。レース前の下馬評では、車重が一番軽い Maserati A6GCSと Porsche 550 Spyderが有力視され…

1957 Sebring 12 Hour Grand Prix Part 3 Fangio移籍の理由

Maserati 250S Roy Salvadori/Carroll Shelby 1957年、この年はモーター・スポーツ界で注目される出来事があった年でもある。Fangioが FERRARIから Maseratiへと電撃移籍した騒動がそれだ。Fangioは Eugenio Castellottiと、前年の Sebringにて Ferrari 860 …

1957 Sebring 12-Hour Grand Prix Part2 GMによる情報操作

エレガントなブルーメタリックの Corvette Super Sportに加えて、パワーを抑えたスタンダード・エンジンを搭載し、ボディに大きく‘P’と描かれた練習用 Super Sportが存在した。ボディはマグネシウム合金ではなくただのプラスチックで見た目は普通の shevy、…

1957 Sebring 12-Hour Grand Prix Part1

1957年、Sebringは6回目の12時間レースを開催した。第2次大戦後、スポーツカー・レースの人気の高まりにつれて、Alec Ulmannが独自に開催してきたレースの人気も大きくなっていったのだった。 当時のアメリカでは多くのスポーツカー・ファンにとって Sebrin…

プラスチックのお勧め

昨日の續き。 プラスチックと云ふ素材が玩具にも使はれるやうに成つたのは朝鮮戰爭後の時代。わが國ではブリキの玩具が60年代も主流でしたが、歐米では50年代中頃には古臭ひ素材と成つてゐたやうです。形が正確ではないし、安全性も疑問でした。獨逸の企業が…

Bibendum

神奈川縣某所のお宅訪問。たぶん日本でも有數のビバンダム・コレクターSさんのコレクションです。 此れは貴重なコンプレッサー。メーターにもビバンダムが描かれてをります。彼の地から空輸されたさうで、重いので大變だつたさうな。 ジャガーのステアリング…

YMR通信 2/5

プロ・モデラーの畔蒜さんに制作を依頼。むちやくちや樂しみです。 此れも畔蒜さんの作品。 貴重なゴーセンのコントローラー。 60年代のブーム眞つ最中に世に送り出された、宮澤模型 1/24 LOTUS FORD。全眞鍮製と云ふ意欲作。下町の町工場の入魂の一品で…

“2CV AZ”の魔窟 其の2

Hさんのガレージには2CVをはじめとしたシトロエン・グッズが一杯でした。 2CVのテールレンズは年式によりデザインや材質が違ひます。基本はアールデコ調ですね。 此の時代の2CVのフワフワ&フニャフニャのアメ車のやうな乘り心地は、獨特の慣性ダン…

“2CV AZ”の魔窟 其の1

Hさんとは、クルマで25分ほどの距離。無理言つてお願ひしてガレージを見せていただきました。 彼の2CVは1955年製で、自動遠心クラッチが附いているという、日本でも貴重なもの。空冷水平對向2氣筒12馬力という非常に非力なものだが、大人2名の乘車…

Auto Modeler in Yokohama 皆さん素晴らしいですね

敢へて餘計な説明はいれません。ごゆつくり味はつてください。

Auto Modeler in Yokohama 意欲作編

殆ど戰車モノ許り作つてきた自分の目で見ると、ピカピカ仕上げの自動車模型には違和感があるのも事實です。此れは錆を表現した意欲作。偉大なるブルースマンが乘つてゐると云ふのも素晴らしい。 いづれもサビと汚れの表現に注目。 中學生の頃は陸軍モノ許り…

Auto Modeler in Yokohama 嗚呼 日産編

日産には車内に日産テクノモデラーズクラブと云ふのがあるらしく、横濱新子安ゲストホールにて、自動車モデラーの集ひに、モデラーではない自分が見物人の立場で見學させてもらひました。 ノガミさんの作品。一部は手書きでマーキングしてをります! セドリ…

1965 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 5

軽量の Chaparralは特にワイドなタイアを履いていたため、豪雨ではまったく走らなくなった。新型の Firestone製レイン・タイアは立ちはだかる雨水に対しほとんど無力だったのだ。午後 5:50、#3 Chaparralはピットインし、嵐が去ることを待つことにした。公式…

日産自動車 旧本社ビル

此れは横濱市認定歴史的建造物である。1934(昭和9)年、ダット自動車を買收した戸畑鑄物の鮎川義介が同年6月には倍額増資して日産自動車と社名を改め、横濱新子安に厖大な工場の建設を始めた。其の時に建てられた本社社屋である。鮎川は此處で小型車ダット…

ミッレミリア練習走行

一部にタルガ・フローリオと勘違ひされた會員もゐたが、今日は翌々週に開催されるミッレミリア・レースの練習走行である。 自分の出場車は惱んだが、ウケ狙ひでコレにしました。タイアの調整とモーターを出力が低いものに交換する必要があります。 扨て、どう…

嗚呼 信州への旅 甲州街道と中山道の分岐點として榮えた宿場町を歩く

此處が甲州街道(左)と中山道(右)の分岐點 下諏訪は、かつて甲州街道と中山道の分岐點として、榮えた宿場町。參勤交代の諸大名や行商人は勿論、諏訪大社の門前町として參拜者の訪れも多く、一時は40數件の旅籠があつたと云ひます。また下諏訪は豐富な温泉が湧…

初めての車検完了

理不盡な日本の車檢制度の所爲で散財でございます。 走行距離は36500km。通勤や仕事に使つてゐないで年間平均12000kmと云ふのは北海道のレベル。 交換したのは内燃機關の潤滑油とフィルター、ブレーキパッド、ブレーキフルード、ワイパーブレード(…

嗚呼 信州への旅 毒沢鉱泉 神乃湯

クルマがやつと通れるやうな細く急な坂道を登つていくと神乃湯に到着する。夜中には物怪が現れる氣がして、晝まで良かつたと思ふ。 毒澤鑛泉と云ふ名は、鐵分が多くて川魚が死んでしまふからださうだ。他に武田信玄説もあり、こちらは450年前に金採掘の際…

嗚呼 信州への旅 諏訪大社下社春宮

冩眞の鳥居は17世紀に建てられたもの。社殿は1780年に竣工。 日本人ほど宗教にいい加減な人種もゐないだらう。我も其の一人なりて、作法に從ひ拜殿す。一體どう云ふ神樣が祀られてゐるのか知らない儘に。拜んだのはよかつたのだが、春宮には毎年2月〜7月にの…