川上完メモリアル in 湯沢  ヒコーキ少年 川上完さんの愛車たち

今年の5月7日に67歳という若さで突然この世を去った、川上完さんへの追悼の気持ちを込めて、クルマ好きのミーティングが新潟県の湯沢にて開催された。クルマと飛行機をこよなく愛し、ミニカーのコレクターとしても有名だった彼を偲びつつ、彼が愛したたくさんのクルマとともに楽しく、和やかにお別れをしようという主旨のイベントには、川上さんの人徳のなせる業から、宿泊先のホテルは貸し切りとなり、多くのクルマと人が集うこととなった。生憎の台風一過であったが、貴重なクルマが雨ざらしとなりながらも参加してくれて、参加した皆は心ゆくまで川上完さんのことと好きなクルマのことを語り合っていたようだった。

川上さんはヒコーキ少年として有名だった。

何を隠そう、僕は小学生の頃から「ヒコーキ少年」なのだ。とは言っても、CGの小林彰太郎さんのように、グライダーの操縦や学徒動員の経験などまったくない、ただのデータオタクなのだが、そんなデータオタクが、ひょんなことから三菱ジープJ3Rを手に入れ、続いてスバル360なんぞを揃えてしまったから、さあ大変、本人は三菱製“零戦”と中島飛行機製“隼”の末裔を入手したと大喜びしてしまった。こうなると、次はスウェーデンのサーブあるいは英国のブリストル、あわよくば、フランスのヴォワザンなどと夢はふくらむばかり。
(川上完 著『もうフツーのクルマは愛せない』より)



SUBARU 360

この360を購入したのが1972年、川上さんが26歳の時である。既に三菱製のジープJ3Rに乗っていたが、幌からの雨漏りが酷く、「雨傘代わり」に中古で購入したものだった。友人の紹介で、お医者さんのセカンドカーが程度もそこそこで5万円(当時の大卒初任給ぐらい)ということで、クルマも見ずに雨の降る夜中にクルマを引き取りに行った。
引き取りから帰った翌日、お天道さまの下でクルマを見たら、そこには見るも無残な姿が。赤と言われていたボデイは、長年風雨に晒されていたせいでほとんど渋柿色になっており、プラスチック製のリアウィンドウは雨に濡れている間は後ろが見えていたが、乾いてしまうと摺りガラス状態で視界はゼロ。雨漏りのために3センチほど水がフロアに溜まっている。ルーフのシールがやれていたようだ。エンジンを掛けようとしたらスターターが回らない。バッテリーも駄目。思い出したのだが、昨晩帰る途中にギア鳴りもしていたし、ハブベアリングからも異音がしていた。ブレーキの効きも甘かったような、、、。
その後、レストアにお金がかかって、総費用は新車を買えるものとなってしまった。
しかしながら、その後はセカンドカーとして現役を維持。リペイントを2回、エンジン交換2回、サスペンション交換を1回しているらしい。奥さんにプロポーズしたのもこの360の中だったという。


Nakajima Ki-43 Hayabusa


SAAB 96

ブガティックの阪納誠一さんが川上さんをひやかして言っていたそうです。
「カンちゃん、いつまでそんなゴキブリみたいなクルマに乗っているんだ」
色はコックローチ ブラウン。ホイールキャップは100円ショップで売っている植木鉢の受け皿。まさに川上完スペシアル。


ヘッドライトワイパーが横に作動することに注意。


SAAB J35 Draken


フロントグリル内の大きな『B』のエンブレムは川上さん手製のもので、銀紙を貼っています。川上さんだから許される行為。



Bristol 406


Bristol bow fighter