The Legend of Tazio Nuvolari Part 1

 Tazio Nuvolariは 1892年11月18日、北イタリアの Mantovaから20km離れた Castel d’Arioに生まれた。父親は小作人を多数使う大農場主だった。
 Nuvolariは生まれた時、普通の赤ん坊よりも小さかった。5、6歳になっても、痩せこけた見窄らしい体つきだった。
「この子は、あまり長生きしないかもしれない」
 父は心配したが、Nuvolariは決して虚弱児ではなかった。10歳頃には、農場の馬小屋から仔馬を引っ張り出し、鞍もつけずに飛び乗って、野原を駆け回るようになった。
「またスピード狂が来たぞ!」
 小作人たちは、Nuvolariの仔馬を見ると、慌てて農場の小道から逃げ出した。それほど仔馬はスピードがあり、乱暴な走り方だったのだ。
 このようにスピードを愛する性質は、叔父の Giuseppe Nuvolariの血を受け継いだものらしい。彼はヨーロッパ自転車レースのチャンピオンであった。
 ある日、Nuvolariは、仔馬に乗って家を出たきり、夕方になっても帰らなかった。
 父は心配になり、馬車で探しに出かけた。すると家から10kmほど離れた小道の溝に、Nuvolariの小さな体が死んだように横たわっていた。父は息子の体を馬車に乗せると、大急ぎで家に戻り、医者を呼んだ。医者の手当で、ようやく意識を取り戻した。
「溝を飛び越そうとすると思ったら、仔馬のヤツ、怖がって棒立ちになったんだよ。あいつが悪いのさ」
 自分が振り落とされたことを、Nuvolariは、あくまで仔馬の所為にするのだった。
 足にヒビが入っており、医者は当分の間の絶対安静を言いつけて帰った。しかし、Nuvolariは、じっとしているのが、何よりも辛かった。2週間も経つと、彼は父の目を盗んで家を抜け出し、また馬に乗り始めた。競馬の騎手になるのが、その頃の彼の夢だった。
 確かに、Nuvolariは、小柄で身が軽く、運動神経は抜群で、無鉄砲なところがあるから、騎手にはうってつけだったのかもしれない。
 ところが、ある日突然、Nuvolariは騎手に対するぼんやりとした憧れを失ってしまった。いつものように農場近くの道で馬を走らせていると、前方から物凄い砂埃が彼に接近してきた。
 Nuvolariは馬にムチを入れ、全速力で突進した。不意に馬が嘶き、棒立ちとなった。Nuvolariは慌てて馬の立髪にしがみつき、どうにか落馬を免れた。
 前方の砂埃の中から現れたのは、自動車だった。競馬帽を後ろ前に被り、大きなゴーグルをかけたドライバーが、ハンドルにしがみつき、怒鳴り散らしていた。
「馬鹿野郎! どこの小僧だ?」
 クルマが急ブレーキをかけて止まらなかったら、Nuvolariは馬もろともはじき飛ばされていたに違いない。
 しかし、Nuvolariは、ピカピカに光る自動車の姿と、ガソリンの匂いにうっとりとしていて、ドライバーの怒鳴り声など聞こえなかった。クルマに一目ぼれしてしまったのだ。
 当時既に、イタリアでは、FIAT社などが誕生し、自動車の製造を行なっていた。上流階級の人々は馬車の代わりにクルマを乗り回し、競馬の代わりの道楽としてモーター・スポーツも始まっていた。馬車を製造していたカロッツェリアは自動車のボディを架装するようになっていた。
「僕は自動車に乗りたいな」
 Nuvolariは自分の想いを、叔父の Giuseppeに打ち明けた。
「それじゃ、わしの手伝いをするが良い」
 Giuseppeは、あっさり引き受けた。この頃、 Giuseppeは Bianchi社の Mantova総代理店の支配人となり、モーター・サイクルや Bianchi社製自動車(FIATと並びイタリア最古の自動車メーカーのひとつでもあった。後にAutobianchiとなる)の販売を行なっていた。
「頼むよ叔父さん。僕は学校へ行くよりも、クルマの事を学びたいんだ」
 15歳の Nuvolariは、目を輝かせるのだった。
 翌日から Nuvolariは叔父の助手として、クルマの運転と修理を本格的に仕込まれることとなった。