1962 PRINCE SKYLINE SPORT

言わずと知れた、Michelottiの作品。1960年のトリノ・ショーに、日本車のスポーツ・カーとして初めて展示されたクルマ、そのものである。
1960年の東京モーター・ショーに間に合わせるまで、依頼から、完成まで僅か7ヶ月(その間、バカンスも挟んでいたので6ヶ月)という短期間でクルマを仕上げるには、ミケロッティしかなかった、というのが実態だったらしい(結局は東京には間に合わなかったのだが)。プリンス本社ではギアに依頼したかったというのが本音だったようだ。特徴的なチャイニーズ・アイと称される吊り目4灯式はプリンスからデザイン修行でミケロッティに派遣された井上氏の提案によるもの。ミケロッティは当初、平凡な2灯式を考えていたと言われている。シャシーはグロリアのもので、日本から船便でイタリアに送った。
クルマが完成したのが、なんとトリノ・ショー当日の午前0時過ぎであった!



ボディの架装は、Carrozzeria Allemano。当初は Vignaleに打診していたそうだが断られている。木型とボディ・パネルの製作はアレマーノの下請けである Carrozzeria Monterosaが担当した。このボディ・サイドのエンブレムは、当初、プリンスのプレートになるはずであったが、トリノ・ショーに展示の際に NSU Prinzと Princeが酷似しているとのクレームがNSU側からあったため、急遽取り替えられたという逸話が残っている。なお、フロントのエンブレム“P”も同様の理由により、Torinoの“T”に差し替えられている。



ボディのブルーは、現地に派遣された井上さんの提案によるもので、イタリアはカプリ島の海のブルーを表現したものだという。



車輌本体価格は 185万円、今の貨幣価値に換算すると 2000万円相当となる高級車だっため、商業的には失敗作となった。