1963, HINO Contessa 900 Sprint

1962年のトリノショーにて発表された、日本車史上希にみる傑作デザインのGTクーペ。それもそのはず、デザインとボディの制作はミケロッティ。コンテッサ900のシャシーとエンジンを使用している。日本では1963年の東京モーターショーにて発表された。
奥にあるベースとなったコンテッサ900と比べてほしい。とても同じシャシーとは思えないほどの美しいボディだ。当時であれば、アバルトの新作と言われてもわからないだろう。
コンテッサ900のエンジンはナルディのチューンによって 35ps から 50ps/5500rpmに向上、車重は 650㎏ と軽く、最高速度は 140㎞/h とされていた。
もともと日本国内で生産・販売する予定がなかったので左ハンドルとなっているコンテッサ900スプリント、日野はこのクルマをイタリアで生産しヨーロッパで販売する計画を立てていたが、諸般の事情により中止されている。もし市販されていれば欧州自動車誌はどのような評価を下したであろうか。




RRの利点を生かし、極低く抑えられたボンネット。


当時のCARグラフィックでもコンテッサ900スプリントは絶賛されていた。

うわさにたがわぬ美しくコンパクトなこのスプリントは,このショウが,日本ではじめての公開であるが,模造真珠の回り舞台にななめに置かれた仔鹿のようなスプリントは,我々日本人がかつて知ることのなかった,自動車デザインの全く新しい可能性を,日本の現実のものとしてくれたことであった。
ボディデザインはミケロッティであるがメカニズムの方は同じイタリアのエンリコ・ナルディによってチューンアップされ,
900cc,45HP/5500rpmでマキシマムは150km/hという。ともかくこうした本格的なグランツリスモが我々の目の前にあるというだけでも楽しいことである。今年のショーに沢山現れた他の試作スポーツ・クーペと異って,デザインがメカニズムにマッチしている点でもさすがミケロッティといえよう。
日野の最近の発表では,イタリアで現地生産を計画中であるという。日本からは,エンジン・サスペンションを送って,イタリアで生産し,直接ヨーロッパやアメリカの市場に送り込むというプランであるが,2300ドル程度で売れれば,ヨーロッパの既存のGTには大きな打撃であろう。また日本への逆輸入も考えられているが,このショウでの好評から推せば,遠からず名神国道あたりを矢のようにとびさるこのスプリントの姿をながめることができよう。しかし伝えられるところによればイタリアの財界にはこの魅力的な日本の車をイタリア国内で生産することに反対する動きもあるといわれ,日野自動車ではイタリア以外の国で組立てることを考えているといわれる。というのも美しいセミ・カスタム・ボディをもったスポーツ・クーペはイタリアのお家芸で,それと競合するような他国の車をイタリア国内で作るなどとはもってのほかだ……ということらしい。しかしこの見事な車を単なるショー・モデルに終らせてしまうのは何とももったいない話で,日野自動車がもっと本腰を入れてこの種のセミ・カスタム・スポーツの生産に乗出さないものかと思われる。それはまた日野自動車の乗用車部門を発展させる一つの方法でもあると思われるのだが。(CG63年12月号より)




ナルディ・ウッドのステアリングが似合う室内。ダッシュボードはクラッシュパッドに覆われている。


後のフェラーリ512TRに影響を与えたと思われるエアインテークのルーバー。

残念なのは、このコンテッサ900スプリントが動体保存されていないことである。メーカーの博物館の展示車が動かないというのには疑問が残る。展示車のテールレンズが割れていたことも報告しておく。