The Legend of Tazio Nuvolari Part 6 III Circuito delle Tre Province


Enzo Ferrari, Alfa Romeo 8C 2300 MM


「 Nuvolariがいくら名ドライバーでも、今日のレースには勝てないだろう」
 サーキットに押しかけた観客の下馬評は一致していた。
 1931年8月9日、北イタリアで開催された 公道長距離レース III Circuito delle Tre Provinceのスタート前である。
 観客が Nuvolariを勝てないとしたのも無理もない。彼のマシンは、相変わらず6気筒1750ccの Alfa Romeo 6C 1750 GSであったが、チーム・メイトの Enzo Ferrariと Bruno Borzacchiniは 2300ccの8気筒エンジンを搭載する、最新の Alfa Romeo 8C 2300 MMを与えられていたからだ。そのパワーは45馬力もの差があった。 Nuvolariがどれほど名ドライバーであっても、550ccの排気量の差をカバーするのは、とうてい無理な話であった。
「優勝は、 Enzo Ferrariか? Bruno Borzacchiniか?」
 優勝候補が、 8C 2300 MMに絞られるのは当然のことであった。
 Nuvolariのメカニック、Decimo Compagnoniまで、最初から優勝を諦めていた。クルマの整備や修理が専門の Compagnoniも、今回に限り、Nuvolariの同乗者として、レースに参加することとなった。
 レースのスタート地点は、アペニン山脈の麓にある Porrettaだった。ここから、Modena、Pistoia、Bolognaの3地方を周り、また Porrettaに戻るのだが、高低差が多く険しい山道の難コースである。
 コースが難しければ、難しいほどレース闘志が出るのが Nuvolariである。不敵な笑いを浮かべながら、スタート・ラインにクルマを進めた。 Ferrariと Borzacchiniのクルマは先にスタートしていた。
 スターターの旗が、さっと振り下ろされた。
「行こうか」
 Nuvolariは、隣に座っている Compagnoniに笑いかけ、ゆっくりスタートした。いつもの Nuvolariと違って、もたもたしたスタートだった。
「Nuvolariの奴、勝ち目がないと思って、最初からレースを投げているぞ」
観客たちは、ガッカリして囁きあった。しかし、それは誤解だった。60年の一生を通じて、Nuvolariは自分からレースを投げたことなんて一度もなかった。
  Porrettaの町を出る頃には、クルマの速度は既に 120km/hとなっていた。
 まもなく、道がカーブしていて、いきなり目の前に鉄道路線の踏切が現れた。
 Nuvolariと Compagnoniは慌てた。2人共このコースを走ったことがなかったのだ。
 スピードを落とすには、もう遅すぎる。クルマは猛烈な勢いで踏切に差し掛かった。レールの間には大きな穴が空いていた。タイアが穴の淵にぶつかり、クルマは大きくバウンドして空中を舞った。
 Compagnoniの体が、助手席から跳ね上がった。その瞬間、Nuvolariは反射的にステアリングから片手を離し、Compagnoniの片足首をガッチリと掴んでいた。もし、この動作が1秒の10分の1でも遅かったら、Compagnoniは線路に投げ出され、首の骨を叩き折っていただろう。
 踏切を通り過ぎたところで、ようやくクルマが止まった。
「エンジンが、いかれていなければよいが……」
 Compagnoniは、クルマから飛び降りると、エンジン・フードを開けてみた。
「アクセルのジョイントが壊れている。このままじゃアクセルが効かないぜ」
 名メカニックの Compagnoniでも、直ぐには修理できない故障であった。