The age of occupied Japan Part 2

 ジョンソン基地の將校たちはハイドパーク内に家が用意されたが、兵士たちは民間の家を借りてゐた。然し、近隣住民とのトラブルなど問題が起こり狹山市も惱んでゐた。其処で住宅供給公社のやうなものを設立、ハイドパーク下にへばりつくように廣がる土地に米軍兵士專用の賃貸住宅を建設した。


はっぴいえんど解散後、ソロ活動を始めた細野の一枚目のアルバムである。
このアルバムは、当時埼玉県狭山市アメリカ村航空自衛隊入間基地がアメリカ空軍のジョンソン空軍基地があった頃に基地所属の軍関係者の住居が建ち並んでいる場所で基地が返還された後、それらの家は安価な賃貸料で貸し出された)と呼ばれていた場所(御丁寧に裏面に住所がローマ字で狭山市鵜ノ木にあったと書かれている。)にあった細野の自宅に16トラックの録音機材を持ち込んで作られた。
バック演奏のメンバーは、1972年末まで小坂忠とフォー・ジョー・ハーフで活動していた林立夫松任谷正隆、駒沢裕城のほか細野と共にはっぴいえんどで活動していた鈴木茂だった。
その後、細野は、林、松任谷、鈴木とキャラメル・ママ(活動途中ティン・パン・アレイに改称)を結成する。
細野は、後にこのアルバムについて「狭山での生活を詰め込んで作った」と語っている。