世襲企業 大東自動車の失敗 Part 8

 ロータリーエンジンの欠陥である、チャターマークはバンケル研究所自らが「一緒に解決しましょう」というほどの難問だった。致命的な未完成エンジンだったのだから、特許料を返してもらう選択もありだった。技術者たちからは「広島へ連絡して指示を仰いだらどうでしょう」という意見が出た。永峰技術部長を除く技術者たちは、ガラクタに近い技術を、研究所の言い分を鵜呑みにして持ち帰ったと、後で指弾されたくはないと言った。
「指示を仰いでも同じだと思う」
永峰は出発前からこの事を予想していたので、落ち着いた口調で言った。
「すでにロータリーの技術導入は、新聞各社に発表した既成事実なんだ。いまここで技術提携を解消したという発表は、できないのではないだろうか」
 実は日本国内では大東自動車のロータリーエンジン導入方針にたいして、ライバル会社から根強い不信と疑惑が渦巻いていた。完成したエンジンとして、実用化できるわけがないというのである。それくらい実用化の技術的障壁が高かったということことだが、ここで大東自動車が技術提携解消を発表したら、それみたことかと、大東自動車技術陣への嘲笑を誘いかねなかった。総合自動車メーカーへの飛躍脱皮という方針そのものが覆ってしまう。
 後戻りは許されない。だが研修団の目の前にあるエンジンは、とうていものになりそうな代物ではなかった。
 研修団の7人は、副社長の直治を見上げた。
「打明け話をすると、広島を発つ前に、オヤジもなぜ量産されんのじゃろかと言っとった。多分、すぐにエンジンが回るとは期待しとらんのではないかな」
 直治の妙に間延びした口調に一同は唖然とした。
「しかし、副社長、3年で解決できるとか、5年後にはどうにかなるという問題ではありませんよ」
「けど、やってみるしかなかろう」
「法外な特許料も払っているんですよ」
「これはわしにとって、副社長に就任して最初の仕事じゃけん、手ぶらで帰るというわけにゃいけんのじゃ」
「それでは副社長は、今後の技術研究にたいして責任を持ってくれますか」
「それはええじゃろ。最後まで付き合うで」
 直治は辰雄にきつく言われていた「下品な広島弁を使うな」という約束を破り、椅子にふんぞり返った。チャターマークがどういうものかは、直治は正確に理解していなかった。
 初仕事であった。
 しかもこれは、直治のために辰雄がお膳立てしてくれた仕事である。当然、辰雄なりの見込みがあるはずだと直治は思った。
 その夜、技術担当常務の永峰は、密かに広島へ電話を入れた。技術面における大東自動車の最高責任者として、さすがに永峰も不安を感じていた。後になって、技術の素人である直治に責任転換したと言われたくはなかったからである。
「それで直治はどう言うとった」
電話に出た辰雄は苦笑いするような感じで聞き返した。
「やってみるしかないと言ってました」
「そうか、わかってるのかのう」
「なにがでしょうか。成功の見通しはありませんが。。。」
「つまりそれよ。直治にそれがわかっているのかどうか。しかしいくら金をかけてでも、直治の尻を叩いて成功させにゃならんだろう。事業というものは皆一緒だ。成功の見通しのあることなら、誰にでもできる。何がなんでも成功させなきゃいけん。ただし日本に帰ったら、このことは絶対に口外せんよう、みんなに徹底させといてもらわんと困るぞ」
 辰雄としては、初めから技術PRの対象として考えていたことであった。乗用車に進出した大東自動車は、夢のエンジンの研究開発をしている。。。辰雄としてはそのアピールだけでよかった。
 技術研修団は、バンケル研究所から技術情報や、必要な図面を借り受け、エンジン単体入手のスケジュールなどを決定、北米周りで帰国した。北米では、既に大東自動車よりも」早い時期に、研究所と技術提携している北米の有力メーカーを訪れ、その後の研究状況を知るためだったが、結果はむしろバンケルロータリーエンジンに対する、不評ぶりを確認しただけであった。
 直治は日本に帰ると同時に、ロータリーエンジンの本格的な開発研究のため、設計部、技術研究部、製造部、実験研究部からなる、ロータリーエンジン開発委員会を社内に発足させるよう辰雄を説得した。
「少し、お金がかかります。アメリカではミリオンダラー作戦じゃというとりました」
「やってみることじゃのう」
直治の気負いを受け止める口調で、辰雄がうなずいた。
自分は、まだ5年や6年は第1線で頑張れるはずだし、その間には出来の悪い直治も、事業経営がどういうものか少しづつ身につけていくことができるに違いない。辰雄はそう思ったし、そう思わざるを得なかった。
 ただちに設計部長の竹内博司を委員長とする、ロータリーエンジン開発委員会がスタートした。