GALLERIA FERRARI その5 Dino 246


“1959 246 F1”
V6 DOHC 2417cc 280ps/8500rpm 最高速280㎞/h

前回の記事でも述べたが、フィアットの経済的支援でフェラーリランチアのF1チームを受け入れた時、“D50”を設計したヴィットリオ・ヤーノも移籍してきた。
ヤーノは戦前にエンツォの勧めでフィアットからアルファ・ロメオに移籍、“6C 1750”や“P2”“P3”を設計した偉才である。
http://d.hatena.ne.jp/gianni-agnelli/20100731/1280588208#seemore

1956年、ヤーノのフェラーリ移籍第一作は、F2カテゴリーを狙った1.5リッターのV6であった。トリプル・ウェーバーで165馬力を叩き出している。
1957年は、マセラティ250Fや英国の新鋭ヴァンウォールが席巻した時であり、特に1年でマセラティに移籍したファンジオの活躍ぶりを、フェラーリは傍観するしかなかったのだ。


1958年、F1グランプリのレギュレーションが変更となった。それまで多用されてきたアルコール混合燃料の使用が禁止されたのである。
幸いにも、ヤーノが設計したV6エンジンはガソリン燃料のみを使用していたので、それの排気量を2.5リッターに拡大して搭載することができた。
V6エンジンを搭載した史上初のF1となった“246”には57年に若くして逝ったフェラーリの息子Dinoの名前がつけられた。
しかし“Dino”は相変わらず重いプロペラ・シャフトを持つフロント・エンジンであり、乾燥重量約600㎏の“246”はライバルと比べて必ずしも軽いとは言えなかった。
“Climax”エンジンをミッドシップに搭載した“Cooper-Climax”の登場である。排気量も2リッターの180馬力しかないエンジンだが、ミッドシップに搭載したことによるハンドリング性能は抜群で、コーナーでは速く、しかも軽くて小さい“Cooper”はコーナー入り口で相対的に重い“246”を置き去りにすることができたのだ。

1958年のシーズンが開幕すると、いきなりアルゼンチンGPでスターリング・モスがクーパーを操り優勝してしまう*1
その後、中高速のサーキットとなるとパワーで優る“246”が速く、マイク・ホーソンが世界チャンピオンとなった。

GALLERIA FERRARIに展示されている“246”は、1959年シーズンに280馬力にパワーアップされたもので、リア・サスペンションはド・ディオン方式からコイルスプリング・ダンパー・ユニットの独立懸架に改修し、さらにダンロップ製のディスク・ブレーキを取りつけるなどの近代化が施されたもの。
この年、トニー・ブルックスは善戦したが、4ポイント差でクーパーを操るジャック・ブラバムが世界チャンピオンとなった。
翌1960年、フィル・ヒルがイタリアGPに“Dino”で優勝したのを最後に、フロント・エンジンのGPマシーンはグランプリの舞台から去ることになる。

*1:モスはヴァンウォールと契約していたが、クルマが開幕戦に間に合わずに急遽クーパーで出場することとなった。