STANGUELLINI STORY その9 スタンゲリーニ FJ 栄光の日々

1958年、イタリアで最初のフォーミュラ・ジュニア戦が行なわれたときには、“Taraschi”“Volpini”“Raineri”“Foglietti”そして“Osca”までもが参加し、のちに“Bandini”“Dagrada”“De Sanctis”“Wainer”そして“De Tomaso”といったレーシング・チームが加わった。
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“Formula Junior”
直列4気筒 OHV 1089cc 99ps/8500rpm 最高速220㎞/h



1958年4月25日“Trofeo Vigorelli Monza”

最初の国内選手権FJレースは58年4月にモンツァで行なわれた。そしてそのシ−ズン、スタンゲリーニに乗った“Roberto Lippi”は7人のイタリア人ドライバーを抑えて、第1回目のFJチャンピオンシップを獲得した。翌年イタリア国内ではさらにFJレースが盛んになり、また初のヨーロッパFJチャンピオンシップが開催され、FJははじめて国境を越えて話題になった。国内選手権では、のちにF1ドライバーとなる“Lorenzo Bandini”や“Raffaele Cammarota”“Renato Pirocchi”といったドライバー達が、数々の優勝を成し遂げた。モンツァのFJコースで行われた“COPPA SANT'AMBROEUS”では“Piero Frescobaldi”が平均速度176.3㎞/hを達成し、スタンゲリーニFJの優秀性を世に知らしめた。


1959年5月9日“Monaco G.P.”

そして、初のヨーロッパFJチャンピオンシップもスタンゲリーニを操ってモナコとシュツットガルド近郊の“SOLITUDE”で優勝したスイス人技術者“Michel May”が獲得したのだ。ちなみにスタンゲリーニで優勝したイタリア人以外のドライバーには、のちにフェラーリF1のドライバーとなる“Wolfgang Von Trips”(写真下)もいた。


1959年に行なわれた23ものFJレースにて、スタンゲリーニは8回もの1-2-3フィニッシュをし、セブリングのレースでは上位4位をスタンゲリーニが占めた。さらに翌年は“Harry Carter”がスタンゲリーニでアメリカの“Vanderbilt Cup”トロフィーを手にした。
スタンゲリーニはFJで圧倒的に強かった1958年から1959年にかけて、FJを百数十台製造販売した。米国では“Briggs S. Cunningham”の前チーム・マネージャ、“Alfred Momo”がインポーターを引き受けた。