STANGUELLINI STORY その8 “Formula Junior” FJの時代

フォーミュラ・ジュニア(FJ)創設のきっかけは、1956年11月30日のイタリア自動車クラブ・ミーティングに若き精鋭ドライバーが集結したことだった。そしてカウント・ジョバンニ・ルラーニ・チェルヌスキ“Giovanni Lurani-Cernuschi”*1が技術面のレギュレーションを作成、国際レース用にFIAの認証も得た。その“nut-shell”に込めるメカニズムに対する技術的レギュレーションは、簡素で廉価でありながら、速く洗練されていることを求めたもので、エンジン、ギアボックス、サスペンションは基本的に市販車のものを使用、OHCは基本的に禁止し、最大排気量は1100㏄とした。またモーター・スポーツの世界で初めて安全性を重視したきついレギュレーションにし、ロールバーを義務づけた。
オフィツィーネ・スタンゲリーニはさっそくFJ参戦を決定する。



1957年10月16日、モデナにてファンジオにテストされた1号車


1957年はFJ開発に全力を注いだ。そして秋には早くも“Bialbero Corsa”を改造した最初のFJマシーンが完成。モデナ空港の滑走路でF1世界チャンピオンのフォン・マニュエル・ファンジオ“Juan Manuel Fangio”がテストした。そのエンジンはフィアット 1100 TV 用OHV1100㏄エンジンをベースに圧縮比を9:1に高めたもので、ツイン・ウェーバー32DCOEキャブレターを装着し75ps/6500rpmを発生した。エンジン・マウントはスタンゲリーニが初期に手掛けたクルマと同じように、後端を右にオフセットし、プロペラ・シャフトはドライバーの右下を通った。フロント・サスペンションは独立、後はド・ディオン・アクスル(のちにダブル・ウィッシュボーン)で、前後ともコイルスプリングと調節式テレスコピック・ダンパーを使用した。当時のGPカーに似せたボディは自社製だった。



スタンゲリーニFJエンジンのベースとなった“FIAT 1100 TV”昨年の日本版ミッレミリアより。
http://fiat500.seesaa.net/article/131061748.html



“1956, Monopost 750 Bialbero Corsa”

直列4気筒 DOHC 741cc 80ps/8500rpm

スタンゲリーニFJの原型となったモデル。乾燥重量は320㎏しかなく、最高速は楽に200㎞/hをオーバーした。ボディは50年代末期FR最後のF1の姿を模している。フロント・サスペンションはフィアット500トポリーノと同様のアッパー・トランスバース・リーフとロワー・ウィッシュボーンだ。エンジン搭載位置が左にオフセットしているために、コクピットも左にオフセットしており、左側の肘部分は深くえぐられている。スミスのタコメーターは8500rpmが真下にきている。

*1:[1905 - 1995]イタリア人自動車技術者、レーサー、モーター・スポーツ・ジャーナリスト。ミラノ工科大学で学び、在学中にマセラティ、アルファ・ロメオでレースを始める。1937年には“Luigi Villoresi”“Franco Cortese”と共に“Scuderia Ambrosiana”を創設。“Crystal Palace”サーキットにてマセラティ4CMを操縦中に事故で腰に大ケガを負い、シングル・シーターのレースから引退する。戦後はFIAに貢献し、自動車ジャーナリストとなる。