STANGUELLINI STORY その4 レーシングカーのみに非ず…


“1947, Bertone Stanguellini”
直列4気筒 OHV 1089cc 60ps/6000rpm 最高速150㎞/h(アルミ・ボディ)

レーシングカーだけでなく、スタンゲリーニはベルトーネにデザインを委ね、優雅な4シーター・グラン・トゥリスモを1947〜1954年までに150台制作した。デザインはフランコ・スカリオーネ。まだ彼らしい前衛芸術のようなものではない。
量産された唯一のスタンゲリーニ・ロードカーである。


機構的には戦前のフィアットの大衆車1100“ミッレチェント”からの流用で、32ps/4000rpmのエンジンは2基のウェーバーDR3により最終的に65psにまでチューンアップされた。ボディはスチールの他、レース用にアルミ・ボディも用意された。
キャッチ・フレーズは“最も速いミディアム4シーター”。“MUSEO”に展示されている車体は現存する唯一のものである。


“Bertone Stanguellini”はイタリア国内のロードレースでも活躍した。写真は1951年6月3日、“COPPA DELLA TOSCANA”のもの。3位に入賞している。

このクルマのあと、スタンゲリーニ自社ではロードカーを試みていないが、ベルトーネは鬼才フランコ・スカリオーネにデザインさせ、スタンゲリーニ1200スパイダーを1957年のトリノ・ショーで公開、翌年はそのクーペ版を発表した。



だが、むしろ50年代のスタンゲリーニは、アバルトと同様にチューニング・キットのメーカーとしての知名度のほうが高かった。それはアバルトほど知名度はなかったが、“速く、そして安全に”を謳い、500、600、1100、1400といったフィアットを高性能車に仕立てただけでなく、フィアットの商用車や大排気量のトラック、バスにまで対応した。


 また同じ頃、彼の会社は本拠地をモレアリ通りからスケドーニ通りに近いモダーンなビルに移した。写真は1963年のもの“Colibri”と写るヴィットリオ。スケドーニ21番地の工場の前にて。トレントトリエステ通りのフェラーリ工場にも近い。

そしてスタンゲリーニの50年代、60年代を通じてのもうひとつのビジネスは、その顧客リストにスクーデリア・フェラーリをも名を連ねたエンジン・ダイナモメーターの製造であった。
1956年の秋、ヴィットリオ・スタンゲリーニのマラネロの友人は最初の“Dino V6”エンジンを開発していた。フェラーリは190psを期待していたが、ヴィットリオは160psも出ればよいほうだと危ぶみ、もっとパワーアップさせるためにエンツォ、そして4人のフェラーリの人間とディナーをともにして話し合い、最終的には186ps/9300rpmを達成することになる。翌月までエンツォとヴィットリオは“Dino V6”のために頻繁にディナーを共にしたという。