STANGUELLINI STORY その2 Pre WAR の時代

フランチェスコ・スタンゲリーニⅡ世の父にあたるヴィットリオ“Vittorio”(助手席右の人物)は1929年、19歳のときレース用フィアットの供給からこの道に入り、3年後、父フランチェスコが他界するとき若きヴィットリオは成長するファミリー・ビジネスの経営を引き継がねばならなくなった。



“1936 MILLE MIGLIA FIAT Balilla Coppa d'Oro”

リゲッティ/カメリーニ組“Righetti/Camelini”が乗ったオフィツィーネ・スタンゲリーニ・モデナにより995㏄に排気量アップされたフィアット・バリッラ・コッパ・ド・オ−ロ“ FIAT Balilla Coppa d'Oro”は平均速度90㎞/hで1936年のミッレミリアでクラス4位となり、翌年もランゴーニ候“Rangoni”が同じクルマでクラス優勝を果たした。そして1938年にはヴィットリオ自ら、モーターサイクルではなく自動車による新スクアドラ・スタンゲリーニを結成し、レース活動を開始する。



“1938 750 Sport Nazionale”
直列4気筒 OHV 569cc 28ps/6000rpm


“1938 1100 Sport Nazionale”
直列4気筒 OHV 1089cc 45ps/6000rpm

最初に新スクアドラが開発したスポーツカーは、空力を重視したアルミニウム製ボディ、雨滴(ドロップ)型の特異なフォルムをもつフィアット・ベースの750㏄と1100㏄で、デザインとボディ架装はモデナのカロッツェリア、トゥリツェッリ“Torricelli”が担当した。このクルマはミッレ・ミリアやタルガ・アブルッツォなどで争うイタリアの“Sport Nazionale Italian Championship”でバラベッリ“Baravelli”とベルターニ“Bertani”のドライブで750と1100クラスで優勝した。



“1939 2800 Sport Nazionale”
直列6気筒 OHV 2852cc 110ps/4800rpm

フィアットが新しい6気筒2.8リッターの大型セダンを発表すると、スタンゲリーニとトゥリツェッリはさっそくそのメカニズムを使ったオープン・スポーツカーを送り出した。


“1939 Flying Turtle”
フィアット500にトゥリツェッリによるボディを被せ、1939年北アフリカのトブルク〜トリポリ・レースに出場。写真のジウリオ・バラヴェッリ“Giulio Baravelli”が1500㎞を完走して750ccクラスで優勝した。長丁場に備え、クルマには飲料水タンクやコーヒー・メーカーまで備えていた。



“1940 1100 SN”
1940年のミッレミリアには、空力的なハードトップを架装した。ボディはもちろんオール・アルミだ。その後同盟国のナチス・ドイツがフランスに侵攻、このレースが戦争前のイタリア国内最後のレースとなった。