STANGUELLINI STORY その6 “750 Sport” ルマン24時間レースへの挑戦

イタリア国内に多数あったカロッツェリアたちは、スタンゲリーニ自製のボディーよりも斬新で魅力的なスタイルを新しいツインカム・エンジンに施した。


“1956, 750 Sport Bialbero”

直列4気筒 DOHC 743cc 75ps/8500rpm


カロッツェリア・カンパーナがモダーンなボディを架装したもの。控えめな薄いテール・フィンと極めて低い車高が特徴。SCG30号によれば、“MUSEO”の展示車は1995年の復刻版ミッレ・ミリアに参加したクルマと思われる。とすれば、そのヒストリーは素晴らしく、1957年と1958年の2年連続でルマンに参戦したヒストリーをもつ。ルマン参戦時には1100㏄ツインカムを搭載していたが、750㏄に換装されていた。ノーズの形状もレストア時に変更されている。


750ビアルベーロ・スポルトは84人死亡の大惨事が起きた1955年のルマンに初出場したが、25位を走っているときにリタイアした。1956年はリタイア、1957年には3台で参加し、残った1台が1気筒を失い3気筒で最終位21位でゴール。59年には13位まで這い上がった。



1955年6月11−12日のルマンに参戦した“750 Bialbero”。ドライバーはフランス人、Rene Philippe Faure/Pierre Duval組。レース17時間目にイグニッションの故障でリタイア。出走車75台中27位。なかなか魅力的なボディ。



1956年6月28日、雨のルマン。Rene Philippe Faure/Gilbert Foury組。36ラップ6時間目にクラッシュ。



1957年6月22日のルマン、スタート前のスタンゲリーニ(手前の3台)。手前から3番目のゼッケン58、フランス人Francois Sigrand/Michel Nicol組が走行距離2879.739㎞、平均速度119.989㎞/h、最終位21位で完走した。一番手前のゼッケン56はレース14時間目にエンジン故障でリタイア。真ん中のゼッケン44はレース8時間目でイグニッションのトラブルでリタイアした。



1958年6月21−22日嵐の中のルマン。フランス人Rene Philippe Faure/Michel Nicol組。レース14時間目にエンジン故障でリタイア。



1959年6月20-21日、晴天に恵まれたルマン。フランス人Roger Delageneste/Paul Guiraud組。走行距離2970.473㎞、平均速度123.77㎞/hで13位でゴール。



1960年6月25-26日、Raymond Quilico/Carlos Manuel Reis組は、レースがあと4時間で終わろうとしたとき、ディストリビューターの故障でリタイアとなった。これを最後に5年にわたるスタンゲリーニのルマンでの戦いは終わった。


“750 Sport”は1954年から1956年まで3年連続して“Internazionale Italian Championship”の750ccクラスで優勝。スタンゲリーニの誇りとなった。
国際レースでも、“MILLE MIGLIA”でのクラス優勝はもちろんのこと、1957年の“Sebring”12時間でのクラス優勝をしている。



“1953, 750 Sport Bialbero”
背の高いロールバーは、おそらくノン・オリジナルだろう。“750 Sport”の着座位置は胸から上が丸出しになるというものなので現代の安全基準では仕方ない。