1971 4TH TOKYO RACING CAR SHOW ガイドブック

前年の70年、日産が「排ガス対策の開発に集中したい」との理由から日本グランプリの参戦取り止めを発表。トヨタもそれに追随したため、日本自動車連盟JAF)はこの年の日本グランプリ開催を断念。スポーツカーによる日本グランプリは終焉を迎える。1971年から日本グランプリフォーミュラカーレースとして再スタート、若者たちはフォーミュラーに注目した。


MANA 06FJ-HONDA
EVAで脚光を浴びたM兄弟であったが、資金難で会社は座礁。弟さんが抜け出して制作したもの。



Brabham-Alfa Romeo F2(up) Brabham BT21(down)

上はリキ・レーシングの所有車。コンレロ・チューンのアルファ・ロメオのエンジンを搭載しているというのだから、もしかしたら林みのる氏が売却したエンジンかもしれない。
下のは大勝自動車の所有。コスワースDFVエンジンは貸与したので、HONDA S800のエンジンを搭載して出展。



HAYASHI 702A FJ
林将一氏によるハヤシ・カーショップのFJマシン。アバルトのフォーミュラーの雰囲気もあり、なかなか格好が良い。この頃のハヤシ・カーショップのカタログには5台ものモデルが掲載されていた。従兄弟の林みのる氏自伝によれば、FJの世界は多くのコンストラクターが覇権を競っていたこともあり、将一氏は自社のユーザーを勝たせるために、先頭を行くライバル車がコーナーを曲がりかけた内側に突っ込みリタイアさせる等、アイルトン・セナも驚く乱暴狼籍を繰り返していたそうです。



Carrozzeria WATANABE Flying Pegasus
モービル石油の全国キャラバンの為に制作されたスペシャル。ベースは HONDA S800。



USO 800
神奈川県海老名町(現海老名市)の杉浦定雄氏による力作。ベースは何と DAIHATSU Compagno 800。ボディはFRP製。嘘八百とはシャレが効いたネーミング。


ショーには前年の70年東京モーターショーに出品されたショーカーも展示された。

Nissan 126X
ベルトーネ風の4人乗りのGTで、後方視界確保のためにTVカメラが備わっている。



MAZDA RX-500
エンジンはロータリーで2ローター、250ps/8000rpm。このままル・マン挑戦かと思えるほどの仕上がりだ。



ISUZU MX 1600
Giaによるデザインをいすゞ社内で手直し。フロントの可変スポイラーは外されてヘッドライトは常識的な4灯へ、ボディはFRP製となり、リア・ウィンドウはルーバーとなっている。ここまで市販レヴェルに近づいたのだが、結局販売されずに終わったのは誠に残念。



FORD GT 40
トヨタが技術研究のために購入した個体。技術的には購入時に古いものとなっており、ガーニー・ウェズレーク・チューンのフォードV8エンジンは、シェルビー・チューンの4955ccに載せ換えられているとガイドには記載されている。
この個体については藤原よしおさんのブログに記事が掲載されている。
http://motorpress.jugem.jp/?eid=420#comments



Lotus Europa NAKAMURA Special
見るも無残となった Lotus Europa。エンジンはコスワース・チューンの4気筒DOHC 1549cc 175ps/8000rpm。ここまでイジらないと勝てなかったらしい。


Special thanks to Mr Ueno.