Le Mans Classic 2012  1GRID 1923 - 1939+ Entrants Part 8


1925 Bugatti Type 35
Bugatti 1991cc 8cyl.

 古くからのCGTVのファンなら知らない人がいないであろう。
 1926年から 1931年までの5年間で、68もの主要レースで優勝。ル・マンはないが、Targa Florioの5勝、 Grand Prix de France4勝、European Grand Prix*13勝、Gran Premio De San Sebastian3勝、Monaco Grand Prix2勝、Gran Premio d'Italiaと German Grand Prix各1勝という金字塔を打ち立てている。
 このクルマの素晴らしさは、欧州初の市販型グランプリ・カーであったことである。よって驚くべき高出力とか高速性能を持っていたわけではない。特殊な訓練を受けていない素人でも整備できることを設計段階から配慮してあった。しかしながら、扱いやすいパワーとトルクの特性を持つエンジンとなっており、ライバルよりも優れた操縦性とロード・ホールディング性能によって着実に勝利を勝ち取るというプロの仕事であった。
 当初は95馬力という、スーパーチャージャーによって武装されたライバルと比べて明らかに非力であったが、その767kgという軽量ボディは、それを補って余りある加速性能とコーナーリングをもたらしていたのだ。それには、軽合金を多用したシャシーと足回り、そしてブレーキ・ドラムと一体構造の Bugattiのイコンでもあるアロイ・ホイールがバネ下重量を大幅に軽減、それによって走りの良さで勝つ傑作となったのだ。
 それまでは大馬力で勝つという思想が支配していたが、それを跳ね返す画期的なマシンとしてこれからも語り続けられるであろう。




1926 Bugatti Type 35 T
Bugatti 2262cc 8cyl.
 Targa Florioのために仕立てられたスペシャル。ストロークを 100mm伸ばして排気量を 2262ccとした。僅か13台が製造された。




1928 Bugatti Type 43
Bugatti 2261cc 8cyl.

 1927年の初頭に発表された Type 43は最高速度 160km/hを誇る唯一のロード・ゴーイング・カーであった。そのためにエンジンはグランプリ・カー Type 35Bのものをデチューンして搭載した。実際には最高速度 177km/hが可能であった。
 1931年のル・マンに於いてフランスの Antoione Schumannチームの#19が Pierre Louis-Dreyfus / Mariette Delangle組により 22位でリタイアとなっている。




1929 Bugatti Type 40
Bugatti 1500cc 4cyl.

 Type 40は Type 13, 22と 23の代わりとして開発されたクルマ。Bugattiの入門編としてスペックは控えめなものに落ち着いている。シンプルなボディと構造は製造コストを引き下げることにも貢献することとなった。エンジンは保守的に3バルブで5ベアリングの直列4気筒。標準ボディは4シーターの torpedo型(魚雷)であったが、多くはカスタム・ボディが架装されている。グランプリ・カーとは違って手頃な価格で提供された Type 40は新たな顧客を開拓することとなった。
 1930年のル・マンに於いて フランスの Mme. Marguerite Mareuseチームの#25 Type 40が Marguerite Mareuse / Odette Siko組によって総合7位でフィニッシュしている。




1930 Bugatti Type 44
Bugatti 3000cc 8cyl.
 1927年のパリ・サロンで Bugattiは Type 44 ツーリング・モデルを発表する。1930年代を通して合計1095台が生産される。エンジンはSOHC、3バルブの直列8気筒で約80馬力であった。クランクシャフトには振動を抑えるダンパーが備えられ、非常に滑らかな回転を誇るものとなった。これにより真のツーリングカーとして称されることとなった。
 1935のル・マンに於いて、"M. Rekip"チームの#9René Kippeurt / Edmont Nebout組が参戦したが64周でリタイアしている。




1931 Bugatti Type 50 T
Bugatti 4972cc 8cyl.
 1931年、Type 50を発表する。Type 46の設計を流用して制作された派生系であり、スポーツ・クーペであった。Type 46と大きく違うのは搭載されたエンジンである。保守的なOHC3バルブから、DOHCエンジンとなり、Bugatti設計による最もパワフルなエンジンとなったのだ。Type 46と比較してボアとストロークは縮小されたが、ルーツ型スーパーチャージャーと2基の Zenith製キャブレターによって225馬力のパワーを絞り出した。これにより最高速度 170km/h、0〜100km/hまで8秒という1930年代としては素晴らしい性能のクルマとなった。
 Type 50は日常の乗用車として使うことができるクルマとして設計され、古典的な鋼鉄製ラダー・シャシーにはロングとショートの2タイプが用意された。Type 50 Tの‘T’は Tourisme または Touringを表しており、一番長いホイールベースシャシーと扱いやすい200馬力にデチューンされたエンジンが搭載された。3段ギアボックスが備えられ、グランド・ツーリングに適した仕様となっている。当時の慣習に則り、Bugattiは完成シャシーでコーチ・ビルダーに提供、顧客のオーダーに合わせ、数々のボディが架装された。
 1931年、Jean Bugattiは父親 Ettoreを説得して3台の Type 50をワークス・チームでル・マンに投入。1台が20ラップでタイア・トラブルでリタイアするや、残りの2台も早急にリタイアとなっている。
 総生産台数は1933年までに65台のみが生産され、いまでも希少なクルマとしてコレクションの対象となっている。




1932 Bugatti Type 51
Bugatti 2300cc Supercharged 8cyl.
Bugatti Type 51は 1931年〜1935年を通し T-51と T-51Aの両方合わせて総生産 40台のクルマである。 Ettore Bugattiが古くなって戦闘力を失った Type 35の代わりとなるクルマとして計画した。Ettoreは、当時アメリカで成功していた最速の前輪駆動 Millerレーシングカーに注目し、Type 43を3台に対し、 Miller 91を2台交換して手に入れ、そのエンジンを徹底的に分解調査研究した。これにより、そのヘッドとブロックをほぼコピーしたエンジンを完成させ Type 35に搭載した。それが Type 51である。Type 51は2〜2.3リッターで、Type 51Aは1.5リッターのスーパーチャージャー。DOHC2.3リッターはルーツ型スーパーチャージャーを備えて 160馬力を搾り出し、750kgの軽量シャシーと相まって最高速度 230km/hとなった。
 しかしながら、ライバルのドイツとイタリア勢は国家予算の援助を元に Bugattiを遥かに超えた怪物となっていた。1931年の French Grand Prixを数少ないハイライトとして Bugattiの時代は終りを告げることとなる。
 

*1:当初は他地域で開催するはずのレースがキャンセルされた時、緊急の代価開催としてヨーロッパ内のサーキットを利用して行われるグランプリであり、その開催は不定期であった。