Racing management Alan Mann (1936-2012) Part3


1964 SPA 24hr


 ‘Nuerburgring 6h-Saloon Car-Grand Prix’は日曜日に行われるが車検は木曜日の昼12時からなので、トランスポーターは遅くとも水曜日の夜6時までに到着していなければならない。
 すべての予定が詰まり、悪いことに、クルマも南フランスの Mont Ventouxのヒル・クライムを終わったばかりだ。Henry Taylorは2号車で成功したが、John Whitmoreのクルマはリア・サスペンションを壊して、ボディの後ろが酷く破損していた。
 ヒル・クライムの終了後、2台のクルマはさっさとトランスポーターに積み込まれ、Grenobleにある FORDのメイン・ディーラーに運ばれ、そこで元気の良い2人のメカニックによって新品のエンジンに換装されて、完全にメンテナンスされた。
 したがって、6月14日から17日の4日間に、2人のメカニックはエンジンとスペア部品、それにフランスの通関書類を持って Grenobleまで 800kmを走り、Mont Ventouxにいた他の2人は徹夜で運転して、クルマを Grenobleに届けた。2台の Cortina Lotusはバラされて組み直され、640km離れた Nuerburgringに運ばれた。とても忙しない4日間であった。
 そこで予期しない事態が発生した。ヨーロッパのイベントの車検はとても忍耐が必要なのである。「注意」というドイツ語しか知らないのに、ドイツ人のレース役員に「ドイツのチャンピオンが乗る Cortinaは32ガロン積むのに、お前のところはなぜ公認ギリギリ一杯の22ガロンしか積まないのか」という難問を説明することを想像すれば、逃げ出したくなるのは私のほうである。大変な忍耐力が必要なのである。
 レースは、現在フォーミュラーのグランプリに使用されている Nuerburgringの経験のあるドライバーにとっても問題がある 170のコーナーと急傾斜を持つ1周 22.8kmの北コースで行われた。幸いなことに、我々のドライバー達はそれ以前にレース経験があったので、2、3周もクルマをテストするだけで十分であった。