1967 HONDA RA273


90度V12気筒 DOHC 48valve 2992cc 420hp/11500rpm


 1965年後半、1.5リッター・フォーミュラーの最終ステージになって、ようやく本格的にコンペティティブとなってきた横置きV12気筒の RA271/272は、その本領を発揮する舞台を失ってしまった。翌年66年から、フォーミュラーは3.0リッターに移行したのである。
 ホンダとしては、あくまでレース・プログラムを続行する意図であり、新しい3.0リッターのプロジェクトに入っていたが、66年シーズン当初からの出走は考えずに、65年から Jack Brabhamの要請によりF2用1.0リッター・エンジンを供給していたホンダは、2年目の66年シーズンには非常に強力な戦力を発揮し得ることが確実視されたので、F2にシーズン当初から Jack Brabhamと Denny Hulmeの2台、フル・エントリーすることに全力を傾注した*1
 新しい3.0リッターの RA273が完成して、再びグランプリの舞台に戻ってきたのは、すでにシーズン後半となった、9月のイタリア・グランプリからである。
 ただし、このシーズンは各チーム、新開発の3.0リッター・エンジンで四苦八苦していた。Eagle-Weslake V12も、その緒戦はホンダと同じ Monzaであり、本格的な3.0リッター・エンジンの登場としては決して遅くはなかったのだ。
 V8気筒も初期の段階では検討されたが、450hp/12000rpmを目標とするには、V8では単シリンダー当たり 375ccとなって、やや難があり、250ccの12シリンダー形式、かつ1.5リッター横置きV12の初期に悩まされた整備性の悪さを可及的に取り除くことを考えた広角のV形式、かつ3.0リッターの横置き搭載は車幅が大きくなりすぎるので、オーソドックスに縦置き配置となった。



 1.5リッターではセミモノコックシャシー後半は横置きエンジン自体をストレス・メンバーとする方式をとって、後輪アライメントなどエンジン換装のたびに若干の狂いを生じる不便を体験していたので、3.0リッター・シャシーはフル・モノコックをとり、エンジンはシャシーの捻り剛性だけを受け持つ構成をとることとなった。



 エンジン給排気のレイアウトを種々検討し、かつVブロックの左右横下部に充分な断面係数をもったモノコック・ボックスを通せるスペースを残すために、V交角はオーソドックスな60度型ではなく、90度という角度をとった。
 もちろん90度Vでは12気筒の爆発間隔は不等間隔となるが、12気筒という多シリンダーでは、この程度(30度)の不等間隔爆発はまず問題なく、かつ各左右バンクは直列6気筒であるので、吸排気系、点火系を左右ブロック別系統にすることは容易である。特に1.5リッターV12の経験から、左右ブロックの排気脈動効果のためのクロス・オーバーは全く不要であることがわかっていたため、躊躇なくスペース的に有利である90度を採用していた。
 1気筒あたり4バルブという、すでにホンダとしては手馴れた方式を採用し、当面 400hp/10000〜11000rpmが目標とされた。すでに順当に勝ち進んでいる Brabham-REPCOが大体320馬力程度の実力しかないことがわかっていたからである。


Part 2につづく。

*1:65年シーズンは Jack Brabhamだけに供給、Denny Hulmeは Cosworthエンジンを搭載。 66年シーズンのエンジンを設計したのは、あの川本信彦氏である。