1964 HONDA RA271

水冷横置き60度V型12気筒 1495cc DOHC 48valve 220hp/11500rpm

 ホンダがF1グランプリ目指して設計・開発を始めたのは1963年の春。当初は、エンジンだけを制作して、既製のシャシーコンストラクターとの提携を考えていたホンダは、最終的に LOTUSとの提携を合意して、64年シーズン初戦からのグランプリ出走を計画していた。ところが、Coventry Climax社が JAGUARグループに吸収されてしまって、JAGUARの関係者となってしまった LOTUSはホンダとの提携破棄を一方的に通告してきた。
 結果としてホンダは、始めからコンプリート・マシンを造って、自社チームを編成せざるを得ない形となった。従ってデビューは遅れに遅れ、64年シーズン半ばを過ぎた、8月のドイツ・グランプリからとなってしまった。




 エンジンを横置きにした理由は、クルマの重心近くに重量物を集中して、垂直軸まわりの慣性モーメントを減少しようという狙いであった。
 バルブ系はホンダがモーター・サイクル・グランプリ・エンジンで実績を積み重ねてきた1気筒あたり4バルブ形式であり、Coventry Climaxや FERRARIが試作段階で試行錯誤している間に、ホンダは当初から4バルブ形式を実戦投入していたのである。
 組立式クランクの中央部に一体加工された出力ギアを圧入し、6速のギア・ボックスがファイナル・ドライブと一体構成となっている。従ってミドシップ・エンジンの定型であるギア・ボックスのオーバーハングはない、非常にコンパクトな設計となっている。
 64年デビュー戦のドイツ・グランプリでは、モーター・サイクル形式の12連京浜フラット・バルブ・キャブレターであったが、第2戦のイタリア・グランプリからホンダ自製の吸入管低圧インジェクションに換装された。エンジンのレスポンスその他の過度特性はインジェクションの方が遥かに良好だからであった。60年代、1.5リッター・フォーミュラーの時代、ホンダは確実に最強の最大馬力を発揮していた。



 エクゾーストは3→1と結合するパイプを4本もった形であり、比較的高次の排気脈動を利用している。結果として独特の乾いた高周波の排気音となり、ホンダ・ミュージックとも呼ばれた。



 シャシーコクピット後エンジン前面部までがモノコック構造であり、後半部はエンジンを強度メンバーとするスペース・フレーム形式が採られた。RA271は4輪インボード・サスペンションを持ったダブル・ウィッシュボーン形式であり、リアは2本の長いラジアス・ロッドを張った LOTUS形式である。
 ブレーキは4輪 DUNLOPのディスク・ブレーキであり、64年はDUNLOPタイアを履いている。

 

 デビュー戦の64年ドイツ・グランプリでは新人のアメリカ人 Ronnie Bucknumがテール・エンドでスタートしたが、9位にまで浮上したところでナックル・アームを破損してリタイア、ただし総合13位を飾った。続くイタリア及びアメリカ(Watkins Glen International)共にオーバー・ヒートでリタイアしたが、HONDA RA271のポテンシャルは確実に向上していた。



64年、ドイツ・グランプリにて。



 歴史に「もし」は禁物であるが、当時の中村良夫監督は、重いクルマではあったが、最強力であり、もし1.5リッター・フォーミュラーがそのまま続行されていれば、確実にグランプリを勝ち続けたクルマであったろうと考えている。