1938 Lagonda Rapier




徳大寺さんの著書「徳大寺有恒からの伝言」に次の記載がある。

渡辺 本多宗一郎さんの息がかかった人たちが、定年なんかでどんどんいなくなっているという現状がありますよね。いわゆる「オヤジ世代」といいますか。その点に関してはどうお考えでしょうか?
徳大寺 ホンダはそこに危機感を持ってるはずだよ。宗一郎さんから続く社長なんて、みんなカーガイでさ。川本さんなんて戦前のラゴンダやアルファロメオ(ジュリエッタ・スパイダー)なんか持ってて、それを自分で直して走らせようとしてたんだよ。あんな企業のトップがさ、そういう気持ちを忘れていないんだよね。彼らは最先端を提供するという使命の企業トップでありながら、やっぱり温故知新って言葉をよく理解していて、過去に敬意を払っていたんだよ。でも、今のエンジニアと話をすると、過去に学ぶものはないって感じなんだよ。老婆心だけど、そりゃあどうかなと。

 この Lagonda Rapierは、その本田技研工業社長であった川本信彦さんのクルマである。元々は小林彰太郎さんの御友人が所有していた個体としても有名なクルマだ。


 Lagonda Rapierは、1934年から1935年にかけて、英国 Lagonda社が製造した小型車である。その後、数台は Lagondaから独立した Rapier Car Companyにより製造された。

 Lagondaは高級大型車が専門であったので、設計は外部に委託された異例の車である。クルマの心臓部であるエンジンは、新設計の直列4気筒 1104cc DOHCエンジンである。このエンジンを設計したのはコンサルタントの Thomas Ashcroft (known as Tim)で、“英国最良の 1100ccエンジン”と称されたもの。もともとは軽合金製として設計されたのであるが、コストの問題で鋳鉄となり、かなり重たいものとなった。出力は 51ps/5400rpmと、当時としては優秀な値である。エンジンの生産は下請けの Coventry Climax社によって行われた。

 シャシーは Charles Kingによって設計され、スチール材をセクションごとにボルトで結合する構造となっている。ギアボックスは、操作の簡単なプリセレクタ4速。ブレーキは Girling製、ロッド操作 13インチのドラム・ブレーキ。半楕円スプリングのサスペンションは、フリクション・ダンパーによって制御されている。

 1933年のロンドン・モーター・ショーにてお披露目されたオリジナルは、2305mmのホイールベースであったが、後に幅広い需要に応えるために、2508mmに拡張されている。工場では £270でシャシー一式を提供、顧客はそれに好みのボディをオーダーした。ほとんどのクルマは E. D. Abbott Ltdのボディを架装した。Abbottの4シーター・ツアラー・ボディ完成車は £368で販売された。他のボディ架装メーカーには、John Charles, Maltby, Eaglesなどがある。

 1935年、Lagondaが倒産すると、 Rapierを生産する権利は、Alan Goodによって再建された LG Motors (Staines) Ltdが引き受け、新会社 Rapier Cars Ltdが受け継ぐこととなった。4人乗りツアラーは£375で販売されている。 生産は1938年まで続けたが、わずか46台の車が作られたに過ぎなかった。



ATのようにゲートがあるプリセレクタ4速が見える。




“英国最良の 1100ccエンジン”