1969 2nd TOKYO RACING CAR SHOW


記念すべき前年の第1回が80台の展示と盛況に終わったことにより、第2回目は青海の国際貿易センター1階の大きな会場となった。出展車は120台と前回を大きく上回るものとなった。



今回の目玉の一つが、ピッザリーニ・マンタだったのだが、ガイドブックによれば「わらじ虫を巨大にふくらまらせたような異様なマシン」(苦笑)。
海を泳ぐエイ(学名オニイトマキエイ)をモチーフにしたのに「わらじ虫」とはジウジャーロもガッカリ?


会場の人気はコレだったのでは。


EVA Anthias Type 1A
写真は1/5モデル。27歳の若者が起業した“EVA CARS”による出展。デザインは素晴らしいものだったが、実戦には出場せずにお蔵入りしたと言われている。設計最高速度は270km/hと豪語していたのだが。写真で見るにリフトアップしそうなお尻が問題かも。



CONIGLIO MK-1



SUZUKI RACING MATE
徳大寺さんや式場さんが始めたレーシングメイトによるドレスアップ。当時の呼び方では「ムード派」ということらしい。



ガイドブックの巻頭にお出ましの御方は、元運輸省(現国土交通省)出身の御役人で、JAF事務局内の渾名は誰がつけたのか「モグラ」でした。赤坂にて自分の妾に料亭「駒子」という店を出させていたようです。
詳しいことは塩澤進午著「日本モーターレース 創造の軌跡」に詳しく書かれております。


資料提供は亀有スロットカー仲間のUさん。ありがとうございました。