1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 9
#56 Stanguellini Bialbero Harry Behm/Carl Haas/Sandy McArthur
#58 Cooper-Climax T39 Tom Hollock/Max Goldman
レース開始後、2時間目に突入すると、マシンもドライバーも熱に悩まされることとなる。Maserati 150 Sの Jo Bonnier / Giorgio Scarlatti組はヘッド・ガスケットを吹いてリタイアとなった。Jean Behraは2位の Collinsに対し1分以上の差をつけて1位の座を守っていた。Portago, Moss,そして Gregoryがそれに続き、上位5位を形成していた。
Phil Hillは電気系トラブルを抱える #14 Ferrari 290 MMと格闘し、最終的にはバッテリーが死んでリタイアとなった。彼は後で Riversideレースにおける記録保持者の Bill Grauerに対し、 Ferrariのブレーキに対する不満として、強い踏力が必要であることを訴えていた。しかし彼は100ポンドで膝屈曲を鍛えていたので、Ferrariのブレーキには何も問題はないと一蹴した。
レース3時間目に悲劇は起きた。シカゴ出身の Bob Goldichがオーバー・スピードでコーナーに侵入、#39 Arnolt Bristolはコースアウトして数回横転してしまったのだ。彼は頭蓋骨を骨折し、首の骨を折って即死した。これは Sebringのレースの歴史の中で初の死亡事故となった。チーム・オーナーの Stanley H. “Wacky” Arnoltは亡くなった Goldichへ弔慰を表して、全車をレースから撤退させた。ピットの関係者は、Goldichはコース上に並べられた55ガロンのドラム缶が彼を直撃した可能性があり、それが死亡原因だと噂していた。
午後1時15分、Behraはピットインして Fangioと交代した。Behraが操縦した3時間の間にコース・レコードを数回塗り替え、その時点で大きなリードを保っていた。
Mossが2位、Collinsが3位、Portagoが4位、そして Carroll Shelbyの 2.5リッター Maseratiが5位となっていた。