1957 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 11 FINISH

 レース半ばを過ぎた時点で(午後4時)、Fangioは依然リードを続けていた。しかしレースを失う可能性が Maseratiチームに忍び寄っていた。Fangioと Carroll Shelbyの燃料が残り少なくなっていたのだ。Shelbyは #21 Maserati 250 Sをピットインさせて給油を始めたのだが、その時にトップを走る Fangioが燃料補給にピットインしてきたので、給油途中で彼に譲りコースに戻った。Fangioの給油が完了するや Shelbyは再給油でピットインしたが、その時点で失格となってしまった。FIAのルールによれば再給油するまでに少なくとも20周する必要がある。この事を Maseratiチームは忘れてしまっていたのだ。 Maseratiはリタイアを余儀なくされた。



 午後4時〜6時の間、Fangio / Behra組はトップを維持していた。Hill / von Tripps組の Ferrariは定時ピットインをしたがバッテリーが死んで再起動ならず、不本意なリタイアとなった。日没間近の日差しはドライバーの視界を遮った。Mossはヘアピン・カーブに入りながら片手を離して目にかざしながら走っていた。観客はその姿に驚いていた。

 この年の Sebringに参加したドライバーは口々に Fangioのドライビング技術の高さを褒め称えた。多くのドライバーがステアリングをしっかり握ってコーナーを回っていたが Fangioは違った。彼は軽くステアリングを保持してほんの少し動かして、大きな 4.5リッター Maseratiをほとんどパワースライドさせていたのだ。その姿はまるで日曜日のドライブに出かけているようであった。「彼がレースをしているようには決して見えなかった」とLotusのドライバー Joe Sheppardは語っている。

 午後8時、Fangioは依然トップで、Hawthorn, Portagoと Schellが後に続いていた。ドライバーは交代されることはなかった。Portagoは燃料ポンプの故障でピットインとなった。修理のために30分が失われた。Mossは Fangioを追い続けた。

 午後9時、Fangioは4周リードしており交代する気配もなかった。Mossは2位を維持、Hawthornが3位、Masten Gregoryが4位、Walt Hansgenが5位となっていた。Peter Collinsはブレーキの不調で1周4分とペースが落ちていた。小さいながらも信頼性の高い Porscheは8〜10位の位置を占めた。彼らは the Index of Performance賞を手にすることとなる。

 午後9時半、Maseratiのピットで小騒動が起こった。それは予定されていた最終ピットインの最中にメカニックが大量のガソリンを Fangioのシートに撒きこぼしてしまったのだ。ドライバーが給油中にクルマから降りるのは、このような火災につながる事故から身を守るためである。

 Maseratiのピットでは典型的なイタリアン・ファッションの人間が大げさなジェスチャーで大騒ぎしていた。チーム・マネージャーは代わりのシートを探し始めた。代わりのシートが据え付けられ、Fangioは4周リードを維持したままコースに復帰した。

 午後10時にはレースを彩る花火が打ち上げられた。それはレースの終了と Maseratiによる勝利を祝うものとなった。トップでゴールしたのは Fangio / Behra組の Maserati 450 S、Moss / Schell組の Maserati 300 Sが2位でゴールした。Mike Hawthorn / Ivor Bueb組の Jaguar D-Typeが3位となった。Masten Gregory / Lou Brero組の Ferrari 290 Sが4位、Walt Hansgen / Russ Boss組の Cunningham D-Type Jaguarが5位、Peter Collins / Maurice Trintignant がワークスの Ferrari 315 Sで6位、Alfonso de Portago / Luigi Musso組のワークス Ferrari 315 Sが7位、Art Bunker / Charles Wallace組の Porsche 550 RSが8位、Jean Pierre Kunstle / Ken Miles組の Porsche 550 RSが9位、Howard Hively / Richie Ginther の Ferrari 500 TRCが10位、Bunker / Wallace組はクルマの熱効率を競う Index of Performance賞を受賞した。




 Fangioが優勝者でピットインすると、たちまち大勢のファンや報道陣に囲まれた。記録映画撮影の明るい照明に照らされながら、彼は相棒の Jean Behraを呼んで勝利を祝った。カメラのフラッシュは一度に12回。新聞ではフラッシュの関係で Fangioが写らずに Behraだけが写っている写真が紙面を飾った。数日も経たないうちに、Fangioは右側の腰から膝にかけての痛みに苦しむこととなる。医師の診断によれば熱傷水疱とされた。それは Maserati 450 Sのドライバー側に配置されたエクゾーストの断熱材が摩耗していたことにより、彼の下半身は高温に晒されていたと思われる。このことは優勝を祝う場では公にされていなかった。

 最後の3時間半、彼は高温にさらされながら痛みに耐えてレースを続けていたのだ。まさに偉大なる Fangio。El Maestro“The Master.”という呼び名に相応しいものであった。

 このレースで Fangio / Behra組は既存の Sebrigの記録を数々と打ち破った。1,024.4マイルの走行距離記録。平均速度新記録 136.72km/h、そして Behraが打ち立てたラップタイム新記録 3分24.5秒。

 この年、彼はF1GPの5回目の世界チャンピオンを勝ち取った。この記録は46年もの長い間打ち破られることはなかった。そしてこれが Sebringでの彼の最後のレースとなった。



Maserati 450 S