Giovanni Agnelli その2 Gianni Style


この FIAT PANDA は Gianni 特注のものだ。彼は白い麻の生地が好きで、このパンダを特注したそうだ。

これほど洒落た感覚ってのは、日本の自動車業界のトップにはないものだね。

すべてが自然で、気取らず、洒落ている。


 Gianni という人は、イタリア人がこうなれたらいいなと思うもののすべてを備えている。イタリア最大の企業グループのオーナーであり、最大の金持ちで、しかも家柄が良く、痩せていつも小麦色に日焼けし、脂ぎっていなくて、スポーティでダンディで、サッカーチームまで持っていて、理想の人間です。それでも、イタリア人というのは、こういう三拍子も四拍子も揃った人間に憧れたり、羨ましいと思っても、嫉妬したり、ズルいと思わない。なぜって、彼らにとって、Gianni は自分を写す鏡だからです。みんな、彼の姿に自分を見ているんですね。
 Gianni は、まさにイタリア人の理想であり、憧れです、しかし、それ以上に僕自身がピッタリくるのは、彼がファッションも含めたスタイル・リーダーである、という点です。
 彼は右足が不自由ですから、それをカバーするためにいつもスエードの茶色のブーツを履いています。どんなフォーマルなスタイルをしても、足元は長靴ですから、一般の常識でいうフォーマルはできない。そういう意味では、儀式的なものをふっとばしているわけです。
 ほかにも、たとえば、ボタンダウン・シャツの襟のボタンをはめないとか、多機能な腕時計を手首に直接ではなく、シャツの上にはめるとか、海辺でシャツをズボンのなかに入れないとか、Gianni のスタイルと認められていることがいくつかあります。でもそれは、彼が Gianni Agnelli だから、認められているのではありません。彼自身、深い考えがあってしていることではなくて、必要に迫られてとか、具合がいいからとか、そういう理由で、いわばいきあたりばったりで始めたことばかりなんでしょう。だけど、そのどれにも、なにかキラリと光るセンスのある思いつきのようなものが感じられて、それが共感を呼ぶのではないでしょうか。



“シャツの上に時計をはめている Gianni。となりの Montezemolo もそれを真似している”

それにしてもこの“いかにもいきあたりばったりな中にセンスがある”という点に、僕はイタリアだなあ、この国の生きざまそのものだよな、ということを感じるんです。彼らにとっては、この手のセンスは非常に重要で、これは人間のみならず、クルマにもいえることです。優等生の、満点車でなくても構わない。欠点だらけでも、どこかに光るセンスがあると、それが認められます。人間も、神聖であることなんて別に評価されない。浮名を流そうが、プレイボーイといわれようが、格好よければそれでいい、そういうところがあって、それは徹底しています。
 それともうひとつ、彼は非常にイタリアが好きなんですね。これがまた、民衆に愛される理由のひとつになっている。彼は名家の師弟の習わしとして、スイスとイギリスの学校で教育を受け、特に幼い頃はバカンスの時だけイタリアで過ごした。だから、今でも彼の話すイタリア語はフランス語訛が非常に強いんです。現在、娘はフランス人と結婚してパリに住んでいるし、息子はアメリカにいます。彼自身もアメリカとヨーロッパを行き来する毎日を送っていたが、それでも、インターナショナルな人間だとは言わない。イタリア人だとはっきりと言う。イタリア人であることに誇りをもっているんだとね。
 Gianni が心臓病で倒れたことがあって、そのとき彼は救急車でトリノにある国立の病院に運ばれました。すぐヘリコプターを飛ばしてどんな名病院にでも行けただろうに、彼は6人部屋で構わない、と言って、本当に大部屋に入院した。手術もそこで受けたし、治るまでずっと、他の患者と同じものを食べ、半月近くそこで過ごした。イタリア人は、こういうことに凄く感動するんです。やっぱり、あいつもイタリアを愛しているんだなって。もちろん、Gianni は退院したあと、すぐスイスとニューヨークの病院で再検査を受けましたけどね。

(内田盾男著“La Mia Macchina!”1995 より)