日産とプリンス 合併の裏で。。。Part13 プリンス販売店の悲喜劇

 さて、従業員の場合、被合併当初、心配したのは、合併に伴う解雇である。しかし、おりからの自動車業界の好景気で、労働力が不足傾向にあったので、杞憂に終わった。むしろプリンスから、日産の社員になることで、一種の誇りすら感じたようだ。しかしながら、プリンス・モータースポーツ部門のある関係者は、合併後に倉庫番にさせられるという悲哀を味わってはいるが。。。
 問題は、管理職である課長クラスである。
 彼らは心理的に引け目を感じていた。プリンスの社員としては、課長にまで昇進したが、これから日産の社員として、部長コースに入るとき、被合併会社の社員としてスタートからハンデをつけられた形だからだ。ただ、役員と違い、課長クラスには、表面的な格下げはなかった。しかし、将来の出世を考えると、どうしても日産生え抜きの課長の方が有利にあることは事実であった。
 もちろん合併の犠牲者は、プリンスの役員・従業員だけではなかった。ついでショックを受けたのが、プリンスの販売店である。同時に、日産の販売店でも少なからず動揺があった。昨日までは、トヨタに次いで、プリンスは完全なライバルであった。当面、トヨタに勝つことはできないとしても、後進のプリンスには絶対に負けられなかった。そのプリンスを、今日から無理やりに友軍にさせられた。この場合、一種の勝利者意識も加わったが、割り切れないものを感じさせられたのだ。
 しかし、なんといっても最大の被害者は、プリンス系の販売店だ。当時の新聞が報じているとおり、この合併は、プリンスの日産への吸収合併であり、それはなにより1対2見当という、当時、発表された合併比率が物語っていた。これまで、第一線級の自動車セールスマンにとって、再編成問題は、現実味の薄いものであった。それを考えるには、あまりに余裕のない、激しい販売競争に明け暮れていたからである。
 ことに、プリンスの販売店は、主力のグロリアのために、打倒日産セドリックの旗を掲げていた。セドリックの販売店がグロリアを目の敵にしたように、プリンス販売店では強大なクラウンよりも、日産車を第一のライバルと教育されてきた。また、小型車のスカイラインは、日産のブルーバードを最大の敵としてきた。これは、当時、ビール業界のライバルだった、下位メーカーのアサヒとサッポロが拮抗していたため、強烈なラインバル意識をもっていたのと似ている。今では忘れ去られているが、サッポロとアサヒの合併問題が、結局、販売店側の反対で頓挫したのと同様に、プリンス側の販売店がもっと強力だったら、日産との合併は、この面から、大きな暗礁に乗り上げていたのかもしれない。

 神奈川県下の某プリンス販売店では、合併が発表された当日の朝、憎むべき日産打倒の作戦会議が開催された。プリンスの得意先に、日産のディーラーが、セドリックを安値で売り込んできたからであった。販売会議では、販売店の課長が、各セールスマンにたいし、
「日産攻撃には、目には目をで応ずるべきである。ダンピング作戦をもって得意先を死守せよ」
と命令したのである。
セールスマンは、朝の会議を終わって、第一線に飛び出した。しかし、まもなくカーラジオから流れたのは、日産・プリンス合併のニュースであった。
 このニュースを聞いた瞬間のセールスマンたちが受けたショックは計り知れない。合併条件のなかに、プリンス直属の全従業員の身分保障は明記されていた。しかし、地方販売店のセールスマンには、なんの保証もなかった。それだけに被合併会社プリンスの地方販売店のセールスマンには、不安感が怒涛のように押し寄せていた。
 それを反映して、日産・プリンス合併が発表されるや、千葉県船橋にあったプリンス販売店では、大量のセールスマンが逃げ出すという事件が起こった。理由は、日頃の商売敵の日産に組み込まれて、精神的にはもちろん、待遇も迫害されるよりは、むしろ、この地域では、比較的友好的なトヨタの販売店に移ろうと思ったのであった。
 トヨタ側も受け入れの意思はあった。ただ合併が発表された直後であり、実態もつかみ得ず、いたずらに動揺しているセールスマンだけに、おいそれと受け入れなかった。トヨタ売店としては、大会社のプライドを示したのであった。案の定、疑心暗鬼のセールスマンは、トヨタと日産の間を往来、結局、大部分は元の鞘に収まった。

 しかし、これはほんの一例で、当時、この種の悲喜劇は、随所で展開されたのである。

この項つづく。