日産とプリンス 合併の裏で。。。Part14 トヨタ勝又グループの不都合な過去

 合併が地方販売店に与えたショックを示す典型的な事件として、千葉プリンスと埼玉プリンスの例があげられる。この両販売店とも、その経営者は同一人物である。社長の勝又豊次郎は、この地域の自動車ディーラーを当時支配していたし、その息子たちが後継となり、現在も関東一円を網羅しているトヨタディーラーだ。現オーナーの娘曰く、トヨタディーラーの雄とされる首都圏全域に網する『トヨタ勝又グループ』なのだそうだ。。。
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 当時、勝又の本拠は、千葉市にある外車専門の勝又自動車であった。勝又は、千葉と埼玉に2つのプリンス・ディーラーを持ち、さらに千葉トヨペットトヨタパブリカ東都、トヨタパブリカ千葉と、3つのトヨタ系の販売会社の会長を兼ねていた。
 それだけに勝又は、日産・プリンス合併のニュースを聞き、激怒した。合併発表の翌日、プリンス系の2販売店の看板を降ろし、トヨタディーラーに鞍替えする決意をした。
 勝又は、
トヨタと日産のクルマを同時に売ることは、道義上、できることではないからだ」
と鞍替えの理由を語っている。
 そして、埼玉プリンスは埼玉トヨタディーゼルに、千葉プリンスは千葉トヨタディーゼルに、衣替えをした。当時は、地方で成功した者の義憤として、一種の美談として伝えられた。
 しかし、働いていたセールスマンにとっては、青天の霹靂である。合併発表の翌日に、プリンス系の高級車から、トヨタのトラックを売る運命に変わらされてしまったのだから。一言もセールスには説明もなく、社長の義憤で、変貌させられてしまったからだ。
 ある種、セールスは水商売の女性と似た面がある。ホステスには個人的な得意先がついている。静かなクラブを好む客と、騒々しいキャバクラを好む客がいる。ご主人の意向ひとつで、高級車からトラックへと変わらされては、いままでの静かなクラブの顧客を喪失することになる。しかも、同じ水商売とは言え、静かなクラブになれた客が騒々しいキャバクラに容易に移れるものではない(両方好きな人もいるだろうが)。結局、勝又は、義憤からプリンス系2店舗を、トヨタに衣替えしたために、営業上、大きな損失を被った。
後日、勝又は、
「商売上はけっして得策ではなかった。そしらぬ顔して日産の販売店を続けたら、といった話はあったが、私の正義感が許さなかった」
ともらしている。
 結局この限りにおいては、ワンマンオーナーの勝又も、プリンスのセールスマンも、合併の犠牲者となったのであった。
 こうしたエピソードでわかることは、日産・プリンスの合併が、地方ディーラー、特に旧プリンス店では、しっくりいっていなかったという事実だ。長い間の日産へのライバル意識が、一朝一夕に、拭いきれるものではないからだ。
 しかし、日産の川又社長としては、末端ディーラーの日産コンプレックスは、ある意味では好都合ともいえる。プリンス系のディーラーが、対トヨタはもちろんだが、日産系のクルマにまで対抗意識を燃やし、あくまでプリンス車を売るという精神が高揚されても、結果は同じだからである。親会社が合併された以上、プリンス車の販売利益は、日産自動車の利益勘定に計上されるからだ。
 だが、これが合併会社のあるべき姿であろうか? 石橋が最後に懇願した言葉を引用するまでもなく、合併会社に必要なことは、人の和であろう。事実、プリンス自販は団結力が強く、日産の販売政策に従うことはなかった。合併後、日産プリンス自販となったが、これが解体されたのは1987年のこと。実に合併後21年も経ってからのことである。
 自動車メーカーはハードへの投資だけでなく、ディーラー網の整備にも巨額の金がかかる。その後の日産とトヨタの帰趨をみれば、日本でモータリゼーションが本格化する前夜の段階でプリンスを背負い込んだことが日産に大打撃となり、その後の日産の足を引っ張ったことは間違いない。

この項つづく。