PRINCE
合併発表当時、プリンス自動車の資本金は120億1,500万円で、総株式2億4,030万株であった。このうち、石橋正二郎の石橋産業の持ち株は4,800万株で、総数の2割を占め、2位の日興証券の1,248万株の4倍近い、圧倒的な大株主であった。その石橋が、合併に積極…
日産との合併に関し、プリンス自動車会長である石橋正二郎の心境は複雑なものがあった。プリンスを手放すことは、事実上国家の要請である。しかし自らが育てた企業だけに、資本家・経営者としての執念があった。石橋が九州からはじめて上京した若かりし頃(大…
日産とプリンス合併を主導したのは通産省であった。当時の通産大臣は、自民党の河野一郎*1派を背景とする桜内義雄であり、次官は佐橋滋であった。通産省のスポークスマン的存在であり、「ミスター通産省」と呼ばれていたほどの男だ。城山三郎の『官僚たちの…
昨日書いた富士重工もそうだが、プリンス自動車工業も「技術あって経営なし」の企業であったことは事実だ。モータリゼーションの息吹がこれから本格的に芽生えようとしていた60年代初頭の日本にあって、そのラインナップに小型大衆車が無いというバランスを…
初代スカイライン。ボディのプレスが貧弱で、新車時から波打っていたという、まるで80年代のフランス車のような品質であったらしい。エンジンは4気筒 OHV1.5リッターでシンクロの4段ギアボックスであった。リアサスペンションはドディオンアクスル(ただ…
言わずと知れた、Michelottiの作品。1960年のトリノ・ショーに、日本車のスポーツ・カーとして初めて展示されたクルマ、そのものである。 1960年の東京モーター・ショーに間に合わせるまで、依頼から、完成まで僅か7ヶ月(その間、バカンスも挟んでいたので6ヶ…
日本初の高級パーソナル・クーペ。 日本初のタコ・メーター、リクライニング・シート。 そして華麗なデザインはミケロッティ。此れも日本初。 日本車最高のデザインと思ふ。 現在の貨幣價値で1000萬クラスの價格が故に、總生産臺數がたつた60臺。貧しい日…