the Cartier Style et Luxe Concours  Extreme Lines - Pre-War Streamlined Specials Part2



1939 Tatra T87

 かつてチェコスロバキア共和国という国があった。長らくオーストリアハンガリー二重帝国に支配されていたが、1918年の同帝国崩壊後に初代大統領トマシュ・マサク大統領の独立宣言によって新たな一歩を踏み出した新興国家だった。それまで他民族の支配に置かれてきたチェック人とスロバキア人は、このとき自らの国を持つことになった。その後1938年ナチス・ドイツ進駐による併合、大戦後には事実上のソ連支配下チェコスロバキア社会主義共和国に、そしてソ連崩壊後1992年には第1党のチェコの市民民主党スロバキアの民主スロバキア運動が連邦制解消に合意。1993年、連邦解消法に基づき1月1日午前0時にチェコ共和国スロバキア共和国に分離し現在にいたっている。
 我が国ではあまり知られていないことだが、1920年代のチェコスロバキアには資本規模が最大のシュコダを始めタトラなど多数の自動車メーカーがひしめきあっていた。この時期に同国の自動車メーカーが抱えていた共通の問題点は、自動車部品産業が育成されていないことであった。したがって多数の部品を輸入に頼らなければならず、それが価格上昇を招き、ヨーロッパ市場での価格競争力をもてず、輸出市場拡大による経営が困難な状況に置かれていたのだ。


1934 Tatra T77

 タトラは生き残りをかけて斬新で意表をつく設計により価格のハンディキャップを乗り越えようとした。それが1934年、世界初の流線型生産車タトラ T77(空気抵抗係数0.212を誇る!)であり、その後継車 T87 である。設計は同社創業時(1897年)からの技術者 Hans Ledwinka 博士。デザインはレドヴィンカ博士と Erich Übelacker との共作。
 エンジンは独創的な空冷V8エンジンで、マグネシウム合金製のクランクケースとギアケースを備えた超軽量。排気量 2968cc 出力 75ps/3500rpm,カムシャフトは各バンク1本のSOHC。強制冷却のためにオイルクーラーをボディ前端に配置した。このエンジンをリア・アクスル後方に搭載したRR駆動。その素晴らしさはヒトラー総統を魅了したと言われている(後日、このエンジンはドイツ軍用車にも採用された)。



シャシーはY字型バックボーンと最先端のもので、モノコックのボディーと組み合わされた。車体底面は、ほぼ全面にアンダーカバーが施され空力性能を向上させている(空気抵抗係数0.36)。まさに高度な技術の結晶だったのである。その結果 T77 よりも400キロ軽量化された空力ボディーにより、最高速度は160㎞/hに達した。これは同時期に発表された米国高級車リンカーン・ゼファー(7.3リッターV12エンジン搭載)と同等の性能である。リンカーンの半分以下の排気量に過ぎなかった T87 が如何に効率的かつ高性能だったか理解できよう。米国の作家スタインベックナチス・ドイツ国防軍の「砂漠の狐」と称されたロンメル将軍の愛車としても有名だった。その一方で、リアのスイングアクスルとRR駆動の組み合わせは、高速道路「アウトバーン」での急なレーンチェンジの際に横転事故を多発させ、ドイツ軍関係者から「チェコスロバキアの秘密兵器」と揶揄されてもいた。
 



3灯式ヘッドライトは戦後もタトラの高級車に継承され、米国ではタッカーが採用することになる。

後方の視界は、内側のコンパートメント・ガラスからルーバーを通して確保している。余談だが、この角度から見るスタイルは60年代後半に我が国で人気だった特撮TVドラマ「ウルトラセブン」に登場するポインター号を彷彿とさせるhttp://bit.ly/n2UREh




1934 Crossley Burney Streamliner
Crossley Motors Ltd (1904〜1958)はイギリスはマンチェスターを本社とする自動車会社で、英国初の4ストローク、ガソリン・エンジンを開発したCrossley兄弟によって設立された。戦後はバスの製造に専念したが60年代を迎える前に消滅している。このクルマの原型は航空機デザイナーのSir Charles Dennistoun Burneyによって設計された意欲作であったが(タトラの洗練されたスタイルとは程遠いモノであったのだが)、生産するにあたり大型ラジエターをフロントに備えることとなり(エンジンはリアアクスル後方に備えられたRR)、空力の優位性は大いに失われた。25台のみが生産されたという。
http://www.autopasion18.com/HISTORIA-BURNEY.htm




1938 Mercedes-Benz 170V Kamm 3
「流線型物体においては、その後端を切り落としても抵抗はほとんど増加しない」とする有名なカム・テール理論の空気力学研究者 Wunnibald Kamm がメルセデス・ベンツ170Vのシャシーに空気抵抗係数0.23という、タトラT77に次ぐ驚異的な値の空力ボディーを架装した実験作。1938〜1941年の間に3台が試作されている。カム・テール理論によりボディ後端は切り落とされている。 170Vは当時のファミリー・サルーンであったが、このボディにより著しい燃費の向上が認められたという。後日、同博士により、BMWにもカム・テールのボディが架装され実験された。



4分割されたフロント・ウィンドウや内蔵されたドア・ハンドルに徹底した空力の追及が見受けられる。