1968’ ALPINE A220


水冷90度V型8気筒 2996cc DOHC 2バルブ 310ps/8000rpm

 1968年、スポーツカーレースは大排気量のフォードを排除するためにグループ6・プロトタイプの排気量無制限をレギュレーション変更で排気量3リッター以下と定めた。
 学生運動で国内が荒れていたフランス政府はル・マンでの国威高揚を目論見、マトラとアルピーヌに資金提供をした。その過程で生まれたのが ALPINE A220 である。
 エンジン開発はゴルディーニに委ねられたが、小排気量のチューンに長けた彼でも、3リッターV8エンジンの開発には苦労した。ルノー直列4気筒エンジンを2基組み合わせた鋳鉄ブロックのV8エンジンは、ギアとチェーン駆動のDOHC。設計当初はF1エンジンとして熟成させる計画もあったようだが、シングル・イグニッションと4ウェーバー・キャブレターで310馬力では、ライバルと比べ100馬力もアンダー・パワーだったし、耐久性にも乏しかった。ラジエターはフロントからエンジン左右に移され、ブレーキもATEのベンチレーテッド・ディスクに変更されている。燃料タンクも安全なラバーバックとなった。シャシーはマルチ・チューブラー・フレームの新設計で、重量が75㎏軽減され700㎏になったのが救いだった。
 1968年のル・マンには4台の A220 を投入。しかし、4台中3台がクラッシュやトラブルでリタイア、残りの1台は8位でフィニッシュを迎えたが、優勝したフォードGT40からは30週以上も引き離されていた。
 翌、1969年のル・マンにも、アルピーヌは4台の A220 を投入したが、結果は惨敗だった。エンジンはアンダーパワーで、同じ3リッターのポルシェ908やマートラ660にはるかに遅れをとったうえ、4台のすべてがエンジントラブルでリタイアとなってしまった。
 小排気量のエンジンからパワーを引き出すチューンの魔術師ゴルディーニをもってしても3リッターV8エンジンは全くものにならなかった。この3リッターに全身全霊をかけたアルピーヌが失った資本と労力は、それがたとえフランス政府や大企業ルノーの支援によるものであったとしても、小さなコンストラクターにとって余りにも重い負担だった。後進のライバルであったマトラがF1チャンピオン・コンストラクターとなった同じ年、アルピーヌはレース活動から撤退することになるのである。
 最大の失敗作であるV8を開発したゴルディーニの名声は地に堕ち、これ以降、彼の名が人々に振り返られることは無かった。



ル・マン・ミニチュア製の A220 は、68年ル・マンの#28、グランジール/ラルース組のマシンを再現している。このマシンは当初からブレーキが不調で出遅れ、レース開始7時間目にクラッシュしている。





ル・マン・ミニチュアのディティールは、ワイパーのウォッシャー・チューブやフロントのジャッキアップ・ポイントなど細部までエッチングパーツで再現。とてもスロットカーとしてビュンビュン走らせるレベルではないのがジレンマ。ディスプレイして満足するしかないかも。