Goodwood Festival of Speed 2011 JAGUAR'S LE MANS CHALLENGERS Part7



1965 JAGUAR XJ13
V12気筒 DOHC 2Valve 4994cc 502ps/7600rpm
JAGUAR 初のミドシップ・エンジンであり、初のV12エンジンであり、初の4カムシャフトを持つエンジンであった、意欲的なGTプロトタイプ。ル・マンの FORD GT40 を仮想敵として開発された。
 空力的に優れた華麗なるボディーは Malcolm Sayer によるもの。アルミブロックのV12エンジンは、基本的に XK6 エンジンをクランクシャフトで2基繋げたもの。500馬力オーバーの出力は、十分ライバルに対抗しうるポテンシャルを秘めていた。
 モノコックシャシーは LOTUS 25 を参考として開発され、アルミのボディーを纏った車重は1000㎏以下となった。
 秘かに MIRA の高速周回路に持ち込まれた XJ13 は David Hobbs のドライブにより易々と周回記録を更新し、ル・マン参戦が期待された。
 しかしタイミングが悪かった。当時 JAGUAR は BMC との合併問題でル・マンどころではなかった。そして大排気量の FORD を締め出すために、ル・マンのレギュレーションは3リッター以下に変更されてしまったのである。
 ‘13’という開発コード名キリスト教世界に於いて不吉な数字である。迷信を図らずも証明してしまったクルマとなってしまったようだ。

JAGUAR HERITAGE からの参加。ケチ臭くてロープを貼っており、エンジンなど撮影できなかった。クヤシイ。



1985 JAGUAR XJR-5
V12気筒 SOHC 5955cc 650ps/7500rpm
 Bob Tullius 率いるプライベート・チーム Group 44 racing が IMSA GTプロトタイプに挑戦するため開発したマシン。V12エンジンはモノコックのストレスメンバーとしても利用されていた。ボディーはロッキード社の風洞実験室で開発された。
 1983 Road Atlanta 500km レースにて優勝すると、JAGUAR は Group 44 によるル・マンへの挑戦を決定する。そして1984年4月、JAGUAR は22年ぶりに2台の XJR-5 によってル・マンに戻ってきた。結果は14時間でリタイアとなったが、PORSCHE や LANCIA などターボで武装する並みいる強豪を相手に、自然吸気の XJR-5 は、一時は6位7位を占めるなど健闘した。