Goodwood Festival of Speed 2011 JAGUAR'S LE MANS CHALLENGERS Part8
1988 JAGUAR XJR9LM
V12気筒 SOHC 6995cc 750ps/7200rpm
1985年、 JAGUAR は再びル・マンで優勝することを真剣に考え、Group 44 racing から TWR にル・マンを任せることを決定する。Bob Tullius の XJR-5 を借り受け、それを徹底進化させた XJR-6 を開発する。カーボン・モノコックのシャシーに、6.5リッターに拡大されたエンジン、グランド・エフェクト効果をもたらす空力ボディーが架装されていた。翌86年、3台の XJR-6 はル・マンに挑戦する。2台が夜にリタイアしたが、残りの1台が翌朝2位となり JAGUAR ファンの興奮は頂点に達する。しかし、あと8時間でゴールという時にタイアがバースト、足回りを損傷しリタイアとなった。彼らが去ったピットには“We will be back!”の文字が残されていた。
手前から2台目、グリーンのボディーが XJR-6 。
翌87年のル・マン。TWR は6.9リッターに拡大された XJR-8LM を3台投入した。幸運にも2台投入された宿敵 Rothmans Porsche AG の1台がスタートして僅か1時間後にリタイア。3台投入した Silk Cut Jaguar が今度こそ優勝、と思われたが、午前2時にトップ争いを演じていた1台がクラッシュ、その1時間後に2位を走っていた XJR-8LM がガスケットを吹き飛ばしリタイア、残る1台は5位でフィニッシュとなり、優勝はお預けとなった。
そして1988年のル・マン。TWR は IMSA とル・マン両方のレースに使用できる XJR9LM を万全の態勢で5台投入する。途中、ギアボックスの不調に悩まされながらも、見事に PORSCHE AG を打ち破り優勝。これは Jaguar として31年ぶりのル・マン優勝となった。
映像にチラチラ見え隠れする日本企業の広告に注意。サラ金とか地上げ屋とか宅急便とか、いろいろな企業がスポンサーとなり倒産していった。まさに泡沫経済の時代ならでは。兵どもが夢の跡ってわけです。
余談であるが、どうして#21が大判振る舞いでドア開放していたかというと、ケチ臭い JAGUAR HERITAGE の所有ではなく、個人オーナーだったからというオチ。