1955, CITROEN 2CV


空冷水平対向2気筒 OHV 425cc 12ps/3500rpm

もう15年も前の話だが、2CVに乗っていたことがある。80年代末期の CLUB でエンジンは602cc 29ps/5750rpmとなっていたものだ。その頃はシトロエンの虜となっていて、BX〜XMも所有していた。
シトロエンはどれも味の濃いクルマだったが、2CVは別格であった。そのブリキ細工のようでありながら今ではクラシカルな味わいを持つデザインは道行く人を驚かせ、子どもたちには笑みをもたらした。オーナーとしてのプライドを大いに味あわせてもらったものだ。

外気導入はウィンドウ下のルーバーをダイヤルを回して開けることになる。直接外気が導入されるのだ。各部から隙間風が吹き込み、夏暑く冬は寒く、季節の変わり目を肌で感じながら運転することができる。“こうもり傘に4つの車輪”という当時のシトロエン社長 Pierre Jules Boulanger の指示そのもののクルマとなっている。


徹底的にコストの削減を行なっていながらも、籠一杯の生卵を割らずに載せて荒れた農道を走行可能なことを目指した、乗り心地には妥協しない設計であったはずだが、ハイドロのシトロエンに乗っていた自分にはその良さを感じる機会は無かったのも事実だ。荒れた道路を走る機会が無かった所為かもしれない。いずれにしても現在乗っている FIAT 500 よりは良かった。ただし、あちらこちらからの軋み音は覚悟しなければならない。煩いクルマだ。3穴のホイールにも注意。
特筆すべきはミッションで、1948年のデビュー当時から4速のシンクロメッシュ(1速はノンシンクロ)を装備していたのだ。日本の大衆車が4速標準となるのは、それから20年以上も後になってしまったことを考えると、“2CV”の先進性を考えずにいられない。シフトレバーはダッシュからステッキが突き出たようになっており、特殊なシフトパターンをもつ。

天皇御料車であったプリンス・ロイヤルや日産初のFF車である初代チェリーを開発した増田忠さんは2CVを分解した時のことを次のように述懐している。

つづいてエンジン、シャシー、ボディとも総分解に入ったが、いたるところに独創かつ低価格の設計アイディアが見つかり、しかも精密を要する個所には超仕上げが施されていて、まったく舌を捲いたのであった。トランスミッションなども各ギアを慎重に取り出して、ノギスで慨寸をはかり、ギア列の総組み立て図を描いてみた。クラッチハウジングをはずして内面を洗い油に漬けて取り出したとき、その形状はまさに芸術品のオブジェのよう。床の間に飾ってもおかしくない見事なもの。つまり、円弧と直線だけの「製図」ではなく、さながらドナテロの青年彫像の胸筋を連想させる見事な造形、一切の無駄を省き、張力圧力の方向に所要の肉を盛ったすばらしさ! この写真を撮っておいたが、いま見当たらないのが残念。
(中略)
数え上げればキリがないが、シトロエンの各車種には他車を何年も先取りした創造性に溢れた設計が見られ、われわれ専門家を魅了してやまない。
(“「してやられた」思いで”1992年刊ひと・クルマ・30CGより)


この型式までは、トランクまでキャンバストップが伸びていた。3灯式のテールライトにも注意。展示車は貴重な遠心式の自動クラッチがついた仕様! もっと詳しく観るべきだった。無念。




輪ゴムの親分のようなゴムバンドで両端を吊ったハンモックのようなシートの座り心地は極上。いまだこのような掛け心地のイタリア車にはお目にかかったことはない。自分はリアシートを外して(脱着は簡単で軽量)居間で使っていたぐらいだ。初期型ならではの簡素なパイプのステアリングにも注目。ワイパーは電気モーターではなく、スピードメーターのワイヤーを動力としているので低速ではゆっくり作動することになる。フロント・ウィンドウは下半分が真ん中から外側に折れ曲がる方式。リアは嵌め殺しだ。


あなたに機会があれば、2CVを運転してみることをお勧めする。フェラーリやポルシェの存在感がバカバカしくなると思えるほど「クルマはこれで充分じゃないか」と思わせ、「いままでのクルマの進歩とはなんだったのか」と考えさせられるものが2CVにはあるのだ。
しかし、渋滞が慢性的な東京に住む今の自分にはATやパワステ、そしてオートエアコンが必需品と考えているので、1台しかクルマを所有できない身分では再度乗ろうとは思わないのも本音である。