MONACO HISTORIQUE 2016 1948 TALBOT-LAGO Type 26 Course
戦前に開発されていた技術と部品によって作られていたにもかかわらず、TALBOT-LAGO 26Cは戦後のグランプリ・レースを6年間も戦い続け、1.5リッター、スーパーチャジャーで武装されたアルファ・ロメオやマセラティ相手に善戦した。あの Louis Chironらが26Cで参戦している。
エンジンは4.5リッターのDOHCと3基のストロンバーグ・キャブレターにより280馬力を叩き出している。ギアボックスはWilson gearboxで所謂 Preselector gearbox。
この個体はイタリア人レーサーの Franco Comottiにより1948年度のグランプリレースに11回参戦した。 Comottiはブレシアに生まれ、ムッソリーニのファシスト党に支配されたイタリアに我慢できず1936年にフランスに亡命し、戦争中にナチス・ドイツ支配下のイタリアに潜入して拘束され死刑判決を受けたが、レジスタンスに助けられたという数奇の運命の人物。
MONACO HISTORIQUE 2016 Stirling Moss and his Maserati 250F
1956年5月13日、F1世界選手権第2戦モナコ・グランプリ。
前年のル・マン24時間レースでの大惨事の責任をとってメルセデスがすべてのレースから撤退したため、この年、モスはマセラティに移籍していた。チームメイトのファンジオはマセラティに戻らず、レースから撤退したランチアD50を引き取ったフェラーリに移籍していた。ランチア・フェラーリD50はヴィットリオ・ヤーノによる設計でV8気筒を搭載していたが、マセラティはコンベンショナルな直列6気筒にこだわった。しかしながら、エンジンの搭載方法は大幅に改良された。すなわちエンジンを車体中心から斜めに搭載し、ドライブシャフトをわずかにオフセットしたコクピットの左側を通すようにしたのだ。これにより着座位置が低くなり重心を低くする効果を狙っていた。ギアボックスは通常5速が搭載されていたが、モナコの市街地コースを考慮して4速が搭載された。
プラクティスではファンジオがモスよりも少し速いタイムを出し、ポールポジションがファンジオ、2番手がモスだった。しかしモスがスタートと同時にファンジオを追い抜き、1周目のラップタイムでファンジオに5秒の差をつけることに。2周目にファンジオはスプーン・カーブで彼としては信じられないような凡ミスでスピン。モスとの差はますます広がることに。15ラップ時にはモスがブレーキが不調のチーム・メイトのペルディサを抜いた時に軽く接触事故を起こし、ボンネットを潰すこととなったが、応急処置ですぐにレースに復帰する。
40ラップ時にはファンジオのマシンのショックアブソーバーは酷く損傷しており、フェラーリのチーム監督の判断で、2位を走っていたチームメイトのコリンズがピットに呼び戻され、ファンジオが乗り換えることとなった。一時はトップを独走するモスとの差は45秒にもなったが、ファンジオは炎の追撃を開始、レース終盤に最速ラップタイムをたたき出すなどしたが健闘むなしく、2秒差でモスが優勝。彼のマセラティ時代初のグラン・エプルーブを獲得することとなった。
1966年発行 HEIBONパンチDELUX 別冊『CAR専科』
T氏所蔵の貴重な資料。
体裁は世界の自動車をA to Zで紹介する別冊だが、実際は『いすゞ自動車』のタイアップ広告だ。
この個体は福澤幸雄氏がレースで使用したものらしい。
Special Thanks to Mr.Tokita.
2015年を振り返って 後半
7月
今年一番の映画はコレでした。特に4D上映では風が吹く、座席がムチウチ寸前の動きを見せる、水のシーンでは飛沫が飛ぶ。最高でしたね。
Three〜多摩美プロダクトから世界へ羽ばたいた3人展〜から。
1966年に多摩美術大学立体科を卒業した 児玉英雄、青戸務、河岡徳彦の3人。1970年代にドイツGM系自動車メーカーのオペルでカーデザイナーとして活躍された3人の軌跡を「学生時代・オペル時代・現在」の数々の貴重なスケッチで振り返った展示を見学。基調講演は本当に貴重なもので素晴らしいものでした。
横浜にて西家鼎談、お題はプリンス自販スポーツコーナーのチーフであった木村さん、そしてメカニックの青木さん、そしてプライベートドライバーで活躍した久保田さんの鼎談を聞くことに。スポーツコーナーはプリンスの技術陣よりも柔軟な発想で新しいものを取り込み、積極果敢な行動力で初代スカイラインGTRの50連勝を支えました。
10月
青戸さんのオペル時代、GMデザインセンターに出向していた時に描いたポンティアックのスケッチが我が家に。
毎年恒例のFBM。今年はプジョーに収穫があった年ですね。
11月
多摩川スピドウェイ回顧展にて。
雑誌オールドタイマー 旧車天国にて。ここではどうしても商用車に目がいきます。
箱根への旅行は鉄道マンセー。
トヨタ自動車博物館による神宮外苑でのイベントから。
フライング・フェザー。
12月
谷保天満宮旧車祭から。
神社ゆかりの旧車イベント「谷保天満宮旧車祭」の会場から
本殿前にもご覧のようにクラシックカーが並ぶ。
参加車両中最古の1910年 ロールス・ロイス・シルバーゴーストが自走してきたと知って驚いた。
The best car in the world と呼ばれたクルマである。
2015年を振り返って 前半
1月
ケーシー高峰で始まった2015年。
1957 Franchoni Devin Alfa Special
恒例のBOWさんの集まりから。これには驚きました。ジュリエッタのエンジンを搭載したアメリカのカスタム。50年代のアメリカのレースは多種雑多で興味深いですね。
爆発すれば危険な水素電池車にかけるトヨタ。パリで雑誌シャリルエブド編集部他への銃撃テロ事件が勃発。テロの時代を迎えて街にあふれるのは危険なクルマですね。自爆テロは要りません、トヨタのミライを吹っ飛ばせば水素爆発でかなりの被害が出るでしょう。
横浜の新聞博物館を訪問。朝日新聞が出資した『神風号』。
1937年5月12日にロンドンで行われるジョージ6世の戴冠式奉祝の名のもとに、亜欧連絡飛行を計画し、本機の試作2号機を払い下げるよう陸軍に依頼したもの。1937年4月6日早暁に立川飛行場を離陸。台北、ハノイ、ビエンチャン、カルカッタ、カラチ、バスラ、バクダッド、アテネ、ローマ、パリと着陸し、現地時間の4月9日午後、ロンドンに着陸。立川離陸後94時間17分56秒で、給油・仮眠をのぞく実飛行時間は、51時間19分23秒であった。飯沼操縦士と塚越機関士はフランス政府からレジオンドヌール勲章を受勲した。神風号はヨーロッパの各地を親善訪問した。そして5月12日の戴冠式の記録映画を積んで14日にロンドンを離陸し、21日には大阪を経て羽田空港に着陸した。
久々の封切り戦争映画『フューリー』。
少し荒唐無稽だったかな。
1956 Fuldamobil S-6
ニューイヤーミーティングの珍車。
木とアルミニウムによるボディ、エンジンは 191CCの2ストローク。西ドイツのマイクロカーです。
2月
第18回岡本太郎現代芸術賞に行ってきました。
大賞は焼き芋カーの金時。
あと毛布でできたファンシーな霊柩車も素晴らしい。
4月
マロニエ・オートストーリーに参加。kさんのロードスターのナビをさせて頂きました。
御殿場市の陸上自衛隊駒門駐屯地 創立55周年記念行事のツアーに参加。戦車ファンなので満喫しました。
5月
GWは開通した北陸新幹線で富山へ。新幹線よりも地元の古い電車に興味が。
日産のアーカイブスを見学。戦前のダットサンとプリンスに興味津々。
Uさんに誘われて行った袖ヶ浦のクラシックレース。ヴィンテージバイクが良かった。
オートスポーツ創刊号もゲット。
いすゞ デザインのこころみ展を見学。素晴らしい社風。風通しの良さを感じました。
6月
代官山TSUTAYAに展示されたロスマンズ・ポルシェ。