MONACO HISTORIQUE 2016  Stirling Moss and his Maserati 250F

1956年5月13日、F1世界選手権第2戦モナコ・グランプリ。

 前年のル・マン24時間レースでの大惨事の責任をとってメルセデスがすべてのレースから撤退したため、この年、モスはマセラティに移籍していた。チームメイトのファンジオはマセラティに戻らず、レースから撤退したランチアD50を引き取ったフェラーリに移籍していた。ランチアフェラーリD50はヴィットリオ・ヤーノによる設計でV8気筒を搭載していたが、マセラティはコンベンショナルな直列6気筒にこだわった。しかしながら、エンジンの搭載方法は大幅に改良された。すなわちエンジンを車体中心から斜めに搭載し、ドライブシャフトをわずかにオフセットしたコクピットの左側を通すようにしたのだ。これにより着座位置が低くなり重心を低くする効果を狙っていた。ギアボックスは通常5速が搭載されていたが、モナコの市街地コースを考慮して4速が搭載された。

 プラクティスではファンジオがモスよりも少し速いタイムを出し、ポールポジションがファンジオ、2番手がモスだった。しかしモスがスタートと同時にファンジオを追い抜き、1周目のラップタイムでファンジオに5秒の差をつけることに。2周目にファンジオはスプーン・カーブで彼としては信じられないような凡ミスでスピン。モスとの差はますます広がることに。15ラップ時にはモスがブレーキが不調のチーム・メイトのペルディサを抜いた時に軽く接触事故を起こし、ボンネットを潰すこととなったが、応急処置ですぐにレースに復帰する。
 40ラップ時にはファンジオのマシンのショックアブソーバーは酷く損傷しており、フェラーリのチーム監督の判断で、2位を走っていたチームメイトのコリンズがピットに呼び戻され、ファンジオが乗り換えることとなった。一時はトップを独走するモスとの差は45秒にもなったが、ファンジオは炎の追撃を開始、レース終盤に最速ラップタイムをたたき出すなどしたが健闘むなしく、2秒差でモスが優勝。彼のマセラティ時代初のグラン・エプルーブを獲得することとなった。