Goodwood Festival of Speed 2011 F1 THE COSWORTH YEARS Part3


1971 MARCH-COSWORTH 711
 March Engineering は1969年創業。 Max Mosley, Alan Rees, Graham Coaker と Robin Herd の4人によって創設された。社名の MARCH はそれぞれの頭文字からとっている。4人はそれぞれ特異な分野の専門家であり、Max Mosley は広告と経営、 Robin Herd はマシンの設計、 Alan Rees はレーシング・チームのマネージメント、Graham Coaker はオックスフォードシャー州 Bicester にある工場の生産管理を行った。


 ノーズから持ちあがった、特異な形状のフロント・ウィングの空力設計は鬼才 Frank Costin 。その形状から第2次大戦で活躍した英国の戦闘機 Spitfire とも、持ちあがった形状から Tea-tray とも称された。
 MARCH-COSWORTH 711 は一度も優勝することはなかったが、 Ronnie Peterson により4回2位となり、F1GP世界チャンピオンの次点となった。



1974 FERRARI 312 B3
水平対向12気筒 DOHC 4Valve 2992cc 490ps/12500rpm
 1966年の3リッター・フォーミュラーFERRARI は当初から既存の3リッターV12エンジンを投入してきた。しかし、1シリンダーあたり3バルブという旧態然としたエンジンはライバル英国チームが搭載する FORD-COSWORTH DFV に対し、明らかに戦闘力が劣っていたのである。
 Commendatore の顔は曇り、チーフ・エンジニア Mauro Forghieri はなんらかの打開策を打ち出さなければならなかった。そこで彼が考えたのは1.5リッター・フォーミュラーの最後に登場させた“512”に搭載された水平対向12気筒が重心も低くシャシーとの相性も良かったことから、これを発展させた水平対向12気筒の3リッター・エンジンだった。水平対向エンジンの欠点である最大幅の増幅を最小限に抑えるため、ボア・ストロークは78.5φX51.5㎜というオーバー・スクエアとなった。また、小型化と軽量化を狙い、かつクランクケース内のオイルと空気の流れを単純化かつ極小とするために、7点支持ではなく、高速回転のエンジンとしては特殊な4点支持クランクとなっている。ブロックはアルミ合金製で、エンジン自身をシャシーのストレス・メンバーとして利用している。各ブロックのツインカム・シャフトは、確実性と信頼性を重視しギア駆動となっている。圧縮比は11。コンロッドはチタンも検討されたが、加工時の工夫によりチタンロッドとの重量差があまりなくなったため、鋼製のコンロッドが採用されている。Lucas のインジェクションと Magneti Marelli のトランジスター点火装置を備える。1970年にデビューした、この水平対向12気筒エンジンは改良を積み重ね、その後10年もの長い間、 FORD-COSWORTH DFV と激闘を繰り広げることになる。
 “312 B3”は前シーズンの“312 B2”とは大幅に外観が違っている。 Mauro Forghieri により、幅の広いフロント・ウィングが取り付けられ、ドライバーの後方には背の高いインダクション・ボックスが備えられた。空力面が大幅に変更され、戦闘力は増したのである。それまでの何にも似ていない新しいフォーミュラー・デザインの誕生であった。
 “312 B3”がデビューした1974年は、チームの体制にもテコが入れられた。現 FERRARI 会長の Luca di Montezemolo がチーム・マネジャーとして就任したのだ。彼は新人ドライバーの "Niki" Lauda と共に改革を推し進め、1974年度はコンストラクターズ2位にまで FERRARI を復活させた。





1974 LOTUS-COSWORTH 76
 前シーズン、LOTUS-COSWORTH 72 により LOTUS は3度のコンストラクターズ・チャンピオンと2度のドライバーズ・チャンピオンを手中にした。Colin Chapman は新しく革新的な技術を取り入れようと決意し、元 McLaren と Brabham の設計者であった Ralph Bellamy による革新的な意欲作 LOTUS-COSWORTH 76 を完成させた。
 フロントのブレーキディスクがボディから飛び出た、大胆な空力ボディーのデザインに目が捕らわれるが、それよりも革新的なのはセミ・オートマチック・ギアボックスである。クラッチを使用するのはスタートとピットからの発進時だけでよく、あとはシフトのボタンを押せば電磁クラッチが作動する構造であった。しかしながら、意欲的な技術を採用した“72”はハンドリング特製や自慢のセミ・オートマチック・ギアボックスのトラブルを克服できず、 LOTUS は事実上の主戦力を前シーズンの“72”に依存せねばならなかった。


F1 1974 Review