川又が、労組に対し信頼をおいていたのには、大争議以外にも理由がある。1955年に起きた、幻のクーデターだ。もちろん、日産の社史からは抹殺された事件だ。 大争議での疲弊と、その直後の不況を克服した日産。ようやく経営に見通しがついてきた1955年の春。…
今年の2月1日、自動車労連元会長の塩路一郎が死んだ。86歳であった。 彼は、日産・プリンス合併の頃、肩幅が広くガッチリとした体型が頼もしい男だった。そして、その奥に潜む闘志は相当なもので、労組委員長としてこの男を敵に回したら、へたな経営者はあ…
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