DB (Deutsch and Bonnet) STORY Part 1

 DB (Deutsch and Bonnet)は、若きエンスージアスト Charles Deutschと René Bonnetの頭文字から名付けられている。Bonnetはパリ近郊の街に Citroenのディーラーを経営していたが、CITROEN 11CVをベースにレーシングカーを開発し、レースに出ようとしたのは第2次大戦直前のこと。近所に住んでいたエコール・ポリテクニークの秀才 Charles Deutschは空気力学の知識に長けていただけでなく、レーシングドライバーとして活躍しフランスGPで Amilcarにて参戦しリタイアしている。その彼に Bonnetが声をかけて CITROEN 11CVをベースにしたレーシングカーの制作にとりかかることになった。それが DBの始まりである。



DB1(Left) and DB2.


1939 DB2.

 1938年、Bonnetの経営するガレージで完成した Citroen 11CVベースのマシンは、元が Traction avantとは想像もつかないほどボディは別物となり、オープンの空力ボディが架装されていた。特に前面投影面積を可能な限り抑えることを追求し、エンジンは 45hpから 60hpにチューン・アップされていた。この年のパリ12時間で最高速度160km/hを達成。これは Deutschがレース前に Bonnetに約束したものだった。そればかりか、平均155km/h以上で1時間走り抜くという2リッター・クラスの記録を達成したのである。翌39年、より空力を追求した DB2が完成したがナチス・ドイツによる第2次大戦勃発で計画は中止となる。

 戦後、ナチス・ドイツによる戦火の傷跡は、フランスから高級車や高性能なスポーツカーを消滅させることになる。フランス政府は自国自動車産業の復興のために、大メーカーに有利な税制を施行し、少量生産の高級車メーカーを結果的に消滅させる政策をとったのだ。
 そんな激動の時代に、DBは戦後の混乱のなかですぐに再開して、1945年には2リッターの F2マシンとレーシング・スポーツを開発している。






1945 DB Citroen Tank Sport
Citroen 4cyl OHV 1911cc 80hp MAX 190km/h.

いち早くフェンダーとボディは一体化され、腰高のエンジンを空力良く収めるためにエンジンフードが可能な限り低く絞られている。エンジンは60hpから80hpにチューンされ、Citroen製のギアボックスは、4段に改造されて搭載された。あのJohn Cooperが初めてF2を開発した時に使われたのも Traction avantのものであり、2.5リッターF1の時代の1959年まで使われていた。