1965 Sebring 12 Hour Endurance Race Part 3


 Dan Gurneyの #23 All American Lotus 19J-Fordは、Jim Hallの Chaparralに抜かれるまで数ラップはトップの位置にいた。お昼ごろにドライバー交代で Hallがピットインした際に Gurneyは再び抜き去り、43周目でチェーン駆動のオイルポンプが故障するまでトップの位置を守った。残念ながらコ・ドライバーの Jerry Grantがステアリングを握ることはなかった。報道関係者は Gurneyの Sebring参戦に関して、いろいろな憶測を報道していた。曰く、Gurneyは FORDのエンジンを使用、そして彼の All AmericanチームはCarroll Shelbyと提携している。それにより、Gurney Lotusは Chevyエンジンを搭載する Chaparralのペースアップを目論んだ“rabbit”の役目を負っていたというもの。結果的には、この速いペースにより FORDの目論見は外れてしまうのだが……。
 
 午前中の早い時間から救急隊員は、いつもより大忙しだった。2人のドライバーが熱中症で治療を受けたが、後にレースに復帰した。Rainville/Gammino組の Bizzarrini Iso Grifo A3Cがブレーキの故障で観客エリアに突っ込み、停まっていた見物客のクルマに軽く衝突、2人のレース・ファンが軽傷を負った。Cobraのメカニックは電線に接触し怪我を負った。12時間レースは、長く興味深い1日となっていった。


2時間の激走で疲れた表情の Jim Hall


盟友 Hap Sharpと交代。


#23 All American Lotus 19J-Ford、オイルポンプの故障でリタイア。


悔しそうな Dan Gurney。


Silvio Moserの Iso Grifo A3C。16周目にクラッシュしている。Iso Grifoは2台ともクラッシュで完走しなかった。


‘The Little Mexican’Pedro Rodriguez。かろうじて前が見えている様。身長 1m65cmしかない彼は Ferrari 330Pを操り、果敢にコーナーを攻めていた。



 記録的な暑さと荒れた路面の Sebringは容赦なく、マシンに高い通行料を請求していた。次々とクルマはピットに送り込まれ、ラジエターから水蒸気を噴出させていた。ちょうど午後1時に3位で快走していた #4 Jennings/Hissom組の Chaparralがピットイン。バッテリーの不調だったが、サーキットの猛暑が原因だった。修理には45分もかかってしまった。後にもトラブルが続出して #4 Jennings/Hissom組は22位でフィニッシュとなる。


 37周目に Phil Hill/Richie Ginther組の #10 Shelby Ford GTは猛暑によるサスペンションの故障でリタイアとなった。これは64年のル・マン同様、熱によりサスペンション・ブラケットがひび割れてしまったのが原因だった。 Lew Spencerが熱中症で倒れたため、Phil Hillが #16 Shelby Cobra Daytona Coupeに乗り込んだ。

 

Umberto Maglioi/Giancarlo Baghetti組の Ferrari 275P


#56 Alfa Romeo Guilia TZはトラブル続きだったが、24位で完走、GT1.6クラスで2位となった。


若き Mark Donohueが操る Mecom's Ferrari 250LM。11位でフィニッシュ。クラス2位となった。


プライベート参加の David Piper/Tony Maggs組の Ferrari 250LM。3位となった。