Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 8 1954 Porsche 356 Pre-A


1954 Porsche 356 Pre-A
Porsche 1500cc Flat-4.



1954 Porsche 356 Pre-A
Porsche 1500cc Flat-4.



1954 Porsche 356 Pre-A
Porsche 1500cc Flat-4.

MGか TR−2のドライバーが初めて356ポルシェに乗ったとしよう。彼はまず、ゆったりとした高級サルーンにも匹敵するコクピットの居住性に一驚し、分厚い、それ自身の重みでコトリと閉まるドアによって、ボディのつくりの良さに驚く。走り出してすぐに気づくのは、ステアリングもギアシフトもクラッチも、すべてのコントロールが無類に軽いことだ。リアに置かれたエンジンは踏めばヒュンと特有のファン・ノイズとともに軽く吹き、直列4気筒のような振動は全くない。高速では風切り音が皆無に近いので、オープンのMGやTRにくらべるとはるかに高速トルク型で、しかもトップは事実上のオーバードライブなので、ひんぱんなギアシフトを要求される。そのかわり、マキシマムは掛け値なしに長時間持続できる。実用的な高速巡航速度で、アウトバーン上では英国の小型スポーツにくらべ驚くほど高い平均速度を保てる。
 そして乗り心地のなんとスムースなことか。悪路でもMGなどではとうてい考えられぬほどのスピードを維持できる(MGのパセンジャーはドアがいつ開くかとヒヤヒヤするが、ポルシェのドアはミシリともいわない)。ステアリングは軽く、きわめて応答性がよい。頑固なアンダーステアに慣れたMGやTRのドライバーは、スムーズで静かなポルシェに乗ると勘が狂い、ともすればオーバースピードでコーナーへ入りすぎる。メーターを見てガク然とし、スロットルをゆるめる。するとスイング・アクスルと細いタイア(初期の356はVWと同じ5.00-16だった)の組み合わせから、急にテールが滑り、慣れないと完全なスピンをやらかし、もうポルシェはこりごり、ということになる。
 たしかに、初期の356は早期にオーバーステアに転ずる傾向が強く、高速コーナーをドリフトで回ることは不可能といわれたし、またそこまで行かない路上のスピードでも、乗りこなすにはかなりの熟練を要したのは事実である。
小林彰太郎 編著『世界の自動車5 ポルシェ』1971 二玄社刊 より)

Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 7


1955 Austin Healey 100 S
BMC 2700cc 4cyl.
 1955年のル・マンでは Lance Macklinチームが 100 Sで参戦。28周でリタイアしている。
100hp/4500rpmにパワーアップする Le Mans Engine Modification Kitが Austinのディーラーで市販されて好評だったようだ。



1950 Jaguar XK 120
Jaguar 3442cc 6cyl.
 1950年のル・マンでは P.T.C. Clarkチームが XK 120で参戦。230周で12位となっている。



1955 Jaguar XK 140 FHC( Fixed Head Coupé)
Jaguar 3442cc 6cyl.



1950 Jaguar XK 120 Roadster
Jaguar 3442cc 6cyl.



1955 Jaguar Type D
Jaguar 3442cc 6cyl.
垂直ウィングが無いのが新鮮。



1952 Jaguar Type C
Jaguar 3442cc 6cyl.
こちらは色が新鮮。



1955 Triumph TR2
Triumph 2000cc 4cyl.
ワークスチームが 1955年のル・マンに参戦。14位でフィニッシュしている。

Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 6 DKW Monza

 DKW Monzaは DKW 3 = 6のシャシーを流用した2+2のスポーツカー。車名はクルマ好きなら誰もが知っている、イタリアの有名なグランプリ・サーキットである Monzaから名付けられた。1956年に5つの世界記録を樹立している。



DKW 3 = 6

 1954年と1955年の2年連続でヨーロッパ・ツーリングカー選手権とラリーでクラス優勝を果たした DKW 3 = 6。そのレーシングドライバーであった Gunther Ahrensと Albrecht W. Mantzelの2人は DKW 3 = 6をベースに極めて軽いグラスファイバー・ボディのスポーツカー開発に取り掛かった。
 完成したクルマは、ドイツはStuttgartで DKWのディーラーを経営する Robert Schenkの店 Dannenhauer & Staussにて製造・販売された。DKW 3 = 6の後継車である Auto Union 1000 Spが1957年に発表されて Robert Schenkは生産を止めた。後を継ごうとした Fritz Wenkは DKW Monzaの生産継続のためにシャシーの供給継続を希望したが、1958年に Auto Unionは彼の要請を拒否。DKW Monzaの生産は終わることになる。

 1956年12月、イタリアは Monzaサーキットにて DKW Monzaは平均速度 140 km/hを含む5つの世界記録を達成している。ベースとなった DKW 3=6 よりも115kgも軽い、総重量780kgの軽量グラスファイバー製ボディと優れた空力ボディにより、最高速度は過去に造られた DKWで最も速いものになっている。

1957年のル・マンに於いて チーム Wolfgang Seidelが DKW Monzaで参戦し、151周でリタイアとなっている。



 
 エンジンは2ストローク直列3気筒という変わり種。これはクランク位相と一致した完全等間隔点火が可能で、少ない気筒数に比してスムースな回転が得られる、振動面での問題が生じにくいレイアウトという長所がある。DKWは「(回転が最もスムースなエンジンレイアウトである)4ストローク6気筒に比肩する」として‘3 = 6’と名づけていた。ラジエターがエンジン奥にレイアウトされていることに注意。
 総生産台数は230〜240台と言われている。



このリアビューはトヨタ・スポーツ800に影響を与えていると思う。

Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 5 Cooper T38


1955 Cooper T38
Jaguar 3442cc 6cyl.


 ある時、Cooperは顧客から C-Type Jaguarの6気筒エンジンを搭載したライトウェイト・スポーツの制作を頼まれた。これは小排気量のエンジンを搭載するライトウェイト・スポーツを売りとしていた Cooperの社風とは相容れないものであった。しかし、そのようなスポーツカーの制作を熱望していた息子の Johnは、父 Charles Cooperを説得し、クルマの制作にとりかかることとなる。しかしながら、大パワーのエンジンを搭載したクルマは Cooperにとって初めてのことであり、多くの新しいデザインと機械部品が必要とされた。例えば、横置きリーフのウィッシュボーン・サスペンションは Jaguarのパワフルなエンジンに対して、余りにも貧弱なものだったのである。

 シャシーは Mark IXに似た大経の鋼管フレームで構成されており、サスペンションは横置きリーフ・スプリングのダブル・ウィッシュボーンで、強固なテレスコピック・ダンパーが備えられていた。タイアは Dunlopで同社の17インチ軽量ホイールと組み合わされており、ブレーキも同社の4輪ディスク・ブレーキが奢られていた。メイン燃料タンクは運転席と助手席の後ろに備えられている。ボディは軽量なアルミニウム製。

 225馬力のパワーを発生するエンジンは、フロント後方にマウントされ、Moss社のギアボックスを介して後輪を駆動する。

 1955年に2台目のオーダーが入る。これが T38と称されてブリュッセルのモーターショーに展示された。エンジンは250馬力に強化されたドライサンプの XKエンジンが搭載された。
 T38は合計3台のみが製作され、その内の1台 Peter Whiteheadがオーダーしたクルマが COOPERのワークスチームで 1955年のル・マンに出場。スタートから3時間後に、エンジンの不調でリタイアとなっている。
 因みに同レースでは、Coventry Climax製の4気筒 1100ccエンジンを搭載したワークスの Cooper T39が総合 21位(S 1.1Class 2位)で完走している。


Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 4


1954 AC Ace Bristol
Bristol 1971cc 6cyl.



1951 Aston Martin DB 2 LM
Aston Martin 2580cc 6cyl.



1953 Aston Martin DB 2/4
Aston Martin 2580cc 6cyl.



1952 Aston Martin DB 3
Aston Martin 2580cc 6cyl.
http://d.hatena.ne.jp/gianni-agnelli/20110517/1305641248



Aston Martin Ltd #25 Aston Martin DB3(Chassis No DB3/5) Spyder as raced to 19th place(Did not finish) at Le Mans 1952 by Lance Macklin - Peter Collins.

Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 3


1955 Maserati A6 GCS
Maserati 2000cc 6cyl.



1955 Lotus IX
Coventry Climax 1100cc 4cyl.



1950 Allard J2
3900cc V8.


 Allard Motor Company Limitedは1945年、英国の Sydney Allardによって設立された自動車メーカーである。1966年に彼が亡くなるまでスポーツカーを造り続けた。Allardは基本的に、ブリティッシュ・ライトウェイトのボディにパワフルなアメリカンV8エンジンを搭載した、元祖 Cobraとも言うべきスポーツカーだ。

 スポーツカーに飢えていた北米市場を睨み、Allardは戦闘力のあるスポーツカーの投入で会社の経営を安定させようとした。それが Allard J2である。
 手作りのアルミボディに、独立サスペンション、リアのブレーキはインボードであった。搭載されたのは FORDのV8エンジン。当初は北米から輸入して搭載したが、貿易関税の関係で問題があり、すぐにエンジン無しで北米に輸出され、Cadillac, Chrysler, Buick, そして Oldsmobile等のエンジンが選べるようになった。これにより 1950年で最もコンペティティブなマシンとなったのである。数あるV8エンジンの中でも Cadillacの 331 cubic inchが多く選ばれていたようだ。
 1950年のル・マンに於いて、Cadillac製 5400cc V8エンジンを搭載した Allard J2は総合3位(S 8.0クラス優勝)でフィニッシュ。Sydney Allard自ら操縦している。